天使の素顔 - 2/2

 その日僕は、ブロンズステージのなかでも特に治安の悪い界隈にいた。
 これも僕のヒーロー修行の一環だ。アカデミーは全寮制だったし、ヒーローになってからは会社の提供してくれるシルバーステージの家に住んでいるから、僕はブロンズにはあまりなじみがない。でもブロンズが舞台の現場でもうまくカメラに見切れるためには地理を熟知していなきゃいけないし、ブロンズ暮らしの人間に擬態する場面だってあるだろう。だから僕はこうして暇を見つけて、ブロンズの色々な地域をウロウロしている。(ちなみにゴールドやシルバーもときどき徘徊する。ゴールドは場違いな気分になって落ち着かないけど)
 飲酒年齢には達しているとはいえ、僕みたいなガキが素顔でこんなところにいるとすぐ絡まれて面倒なことになるので(目立つ髪色と目つきの悪いのがいけないんだと思う)、適当な、目立たない風貌の人物に擬態済みだ。擬態の練習も兼ねて一石二鳥。
 煙草と酒とジャンクな食べ物のにおいが充満したパブで、気のよさそうな酔っ払いに酒をおごって、適当な相槌をうちながら話を聞く。それがこういう場所での僕の過ごしかた。不思議なことに、素顔じゃ絶対にできない、見知らぬ相手に自分から声をかけるという行為が、擬態しているときには簡単にできてしまう。折紙サイクロンと一緒で、演じているという安心感があるからだろうか。ヒーロー修行というのは口実で、いつもの自分じゃできないことを楽しみに来ているのかもしれない。
 ともかくそんな風に、いつものように酔っ払いたちにまじって過ごしていたときだ。
 ふらりと店に入ってきた人物がいた。
 周囲の酔客が一瞬目を向けたのは、その人物の髪がこの薄暗い店内でもわかる、めったにないような華やかな金髪だったからだ。金髪の白人男性というのは下層には珍しい。だがいないわけではないし、その人物のそれ以外の部分、例えばくたびれたジャケットだとか、気だるげな歩き方だとかは、このパブにふさわしいような様子だったので、皆はすぐに元の喧騒を取り戻した。
 その人物はカウンターまでぶらぶらと歩いてくると、慣れた様子で酒と軽食を注文して腰を下ろした。同性愛の趣味のあるらしい客のひとりが、おそらくナンパ目的だろう、すぐに近づいて馴れ馴れしげに声をかけたが、すげなくあしらわれたようで肩をすくめて自分の席に戻っていく。
 金髪の男は、煙草に火を付けるとふーっと深く吐き出した。ちらりと目に入ったラベルは、安くてきつい銘柄。
 その様子を、僕は酒の相手に相槌をうちながら、こっそりと観察していた。日々の修行が功を奏して、穴のあくほど見つめるようなことをせずにすんだ自分を、ちょっとほめてやりたい。
 髪型も服装も仕草も、なにもかも違う。彼をよく知る者すら、それが彼だと一目で気づく者は少ないだろう。

 だが間違いなく、その男は、キース・グッドマンそのひとだった。

「よーお、ジョニー」
 彼が来てから20分ほどが経って、その間に何人かが退店し、何人かが入店した。その中にひとり、キースさんに親しげに声をかけた男がいた。キースさんよりいくつか年上、30代後半くらいだろうか。肉体労働者特有の日に焼けた肌。
 キースさんは軽く手を上げて応える。そのキースさんをジョニーと呼んだ男は、キースさんの隣のスツールを引いて、いつもの、と店主に注文しながら、きらきらした金髪の頭を気安い様子でこづいた。ちょっとタイガーさんのやりかたに似ているけど、それよりもう少しがさつな感じだ。
 彼らの会話の内容はあまり聞き取れなかったが、他愛もない話をしているようなのはわかった。ときどきあがる笑い声、肩や背中を遠慮なくたたき合う様子などは、いかにも気の置けない友人といった様子で、パブにいるほかの客となんら変わりがない。
 僕もまたそういった客のひとりを装いつつ、そっと窺っているうちに、僕の相手のほうが船をこぎ出してしまった。仕方がない。僕は肩をすくめ、ジョッキに残った安酒をぐっと干すと、テーブルに勘定を置いて店を出た。
 ドアをくぐれば深夜近いブロンズの街並み。このあたりは夜が遅いから、まだまだ店の灯りなどは多い。千鳥足の酔っ払い、ゴミをあさる野良猫、派手な化粧の女たち(ときどき男も)、遠くから喧嘩の声。猥雑な空気はまだなじみが薄いけど、嫌いじゃない。
 僕よりこの街によっぽどなじんでいるようだった、キースさんのことを考える。
 ジョニーと呼ばれていたっけ。
 ジョニーってジョンのことだ。たしかキースさんの飼ってる犬がジョン。そこから取ったのかな。くすりと笑いが漏れた。
 僕の名前、イワンも、英語だとジョンだ。擬態するときにはそっちを名乗ることもある。ジョンとジョンとジョン。ジョンばっかり!
 ちょっと愉快な気分で、モノレールの駅を目指してぶらぶらと歩きだした僕は、いくらも行かないうちに背後から肩を叩かれた。なんとなく予感はあったし、近づく足音には気づいていたから、驚きはあまりない。今日の擬態が下手だったとは思わないけれど、勘の良さそうな人だし。
 首だけで振り返ったそこにいたのは、案の定、キースさん(もしくはジョニーなにがし)だった。

「あん?」
 とりあえず不審げにそう言ってみる。この身体の人物が、見知らぬ男にいきなり肩を叩かれたらそういうような声音で。折紙サイクロンがスカイハイに向けることは100年経ってもあり得ない声音で。だって擬態してるんだもん。擬態してる僕は僕じゃないからいいんだもーん。あー、僕もたいがいこの遊びにハマってる。
 キースさんはちょっと顔をしかめた。中身の僕がそういう返しを選ぶとは思わなかったらしい。あるいは、つい追いかけてきたものの、中身が僕かどうか確信が持てないのかも。だとしたら、しらを切って逃げるのも手だけれど、僕はそうするのはやめた。
 だって、目の前にいるのは、僕がずっと知りたかった姿だ。
 改めて、身体ごと向き直る。ちょっと考えてから、軽くおどけた口調で言ってみた。
「なんでござるか?」
 キースさんが表情を緩めた。怒ったような困ったようなほっとしたような複雑な顔。
 スカイハイなキースさんの、怒るなら怒る、笑うなら笑うでくっきりと表情を変える顔とは、ぜんぜん違う顔だ。
「……ちょっとつきあわないか。時間があれば」
 台詞に迷ったらしき短い沈黙のあと、キースさんはそう言った。名前を呼ぶのをためらったのだろう。イワン、という響きは僕の今の姿には不似合いだ。もちろん折紙くんなんてこんなところで呼ばれたら全力で逃げる。
「このナリで?」
 了承代わりに短く問い返すと、キースさんは肩をすくめた。
「できれば元の姿に戻って。知らない相手と話すようでやりにくい」
「自分はその恰好でですか。ずるくないでござるか」
「大人はずるいものだろ?」
 うっわあ悪そうな笑顔。それが見られたからよしとしよう。
「――店、決めてください」
「ああ。こっちだ」
 そう言って連れて行かれたのは2ブロック先にある、軽食を中心にしたセルフ式の店だった。キースさんが浮くほどじゃないけど、さっきのパブよりはだいぶ客層が若くて、照明も明るめだ。僕の見かけを考慮したチョイスだろう。この時間で客は少ないが、やかましく鳴るBGMと、入り口近くの席に陣取って大騒ぎしているグループの声のおかげで、内緒話もしやすそう。
 おごってくれるというキースさんに注文を任せ、僕は物陰に隠れて擬態を解く。スカジャンと腰履きカーゴパンツのいつもの服装(カリーナにはチンピラっぽいって言われてちょっとへこんだ。気にいってるのに)は、まあこの店ならセーフだろう。少し考えてリバーシブルのスカジャンは裏返して着た。マイコサンの刺繍が汚れたら泣いちゃう。
 店に入ってきょろきょろと見渡せば、キースさんはもう頼んだものを受け取って、奥まった席に座っていた。
「……お待たせしました……」
 ぼそぼそと言いながら向かいの席に座ると、キースさんはぷっと笑う。たぶん僕の態度の変わりようにウケてるんだろう。
「『ジョニーさん』に笑われたくはないでござるよ……」
「あっはっは、確かに」
 同意しながらもなおもけたけた笑うキースさんを、僕はむぅ、と上目遣いに睨んで、けどつられて笑ってしまった。
 キースさんの、肩の力を抜いたリラックスした風情が、なんだかとてもとても嬉しくて、不機嫌な顔をするのが難しいんだ。
「えーと、」
「ジョニーでもキースでも好きに」
「……じゃあキースさん。それ、地なんですか?」
「うーん」
 笑いをおさめたキースさんが首をかしげる。ポケットから取り出した煙草に火をつけ、横を向いて煙をぷはあと吐き出して、
「なんと言うかな。これが最も私の素に近いのは確かだが……」
 一口吸ったばかりの煙草を灰皿にぐりぐりと押しつける。
「しかし、きみの知っている私が、まったく嘘というわけでもない」
「スカイハイなキースさんは『オン』で、今のキースさんが『オフ』って感じ、ですか?」
 今までに感じていたことを僕なりにまとめて言ってみると、我が意を得たりという風に頷かれた。
「まさにそれだ。うまく言うね」
「僕もわりとそうだから、わかる気がします。でも……訊いてもいいですか。どうして、そんな?」
 そこまで踏み込んでいいのかとためらいはあったが、思いきって問いを重ねる。それはキースさんの仮面に気づいてから、ずっと疑問に思っていたこと。スカイハイでないキースさんがいるのはいい。でも、どうしてキースさんはその姿を、誰にも見せようとしないのだろう。どうして偽名を使い、姿を変えてしか、「スカイハイでない自分」でいられないのだろう。
 がたがたするテーブルに身を乗り出しての僕の質問に、キースさんはゆったりと笑った。
 これまで見せてくれたどの笑みとも違う。笑っているのに、泣いているような顔だった。
「ここまで見せてしまったんだ。聞いてもらおうか。
 ――私がヒーローとしてデビューしたのは、ポセイドンラインの起こした大きな不祥事の直後でね。企業のイメージアップをはかってのことだが、当時は大企業がヒーロー事業に参入するのは珍しかったから、かなり話題にもなったんだ。
 『スカイハイは高潔で誇り高く、そしてシュテルンビルト全市民に愛される、ヒーローの中のヒーローであらねばならない。たとえヒーローマスクを脱いだとしても、きみはヒーローだ。そのことを、片時たりとも忘れられては困る』私を採用した当時の事業部長が言った言葉だ。私は若かったしね、素直にそれを聞いた。
 それに実際、当時のヒーローTVは今ほど人気がなくてね。少数のスポンサーを奪い合うような状況で、足の引っ張り合いも日常茶飯事だった。ヒーロー同士は仲が悪いというほどではなかったし、現場では協力することもあったが、今のように親しく付き合うことはなかったんだ。だから例えヒーロー仲間といえども隙を見せてはいけないと言われた。――悲しいことではあるが、その判断は間違ってはいなかったのだろうな。
 そんなわけで、私はマスクを脱いでも高潔で、少々馬鹿正直な、キース・グッドマンという人物になりきることにしたんだ。それほど難しいことではなかったが、まあずっとやっているとやっぱり疲れてね。ときどきこうしてジョニーというどこにでもいる男、きみの言うところの『オフ』に戻らせてもらう。私には君のような能力はないが、髪形や服装だけでも案外簡単に別人になれるものだ。私にこの息抜きを勧めてくれたのも例の事業部長さ。今は彼は外国にいるから、このことはもう誰も知らない。
 ――それからヒーローを取り巻く状況もずいぶん変わった。だがもう、スカイハイもキース・グッドマンもすっかり私の中に定着してしまってね。かれのことはけっこう気に入っているし、あれはあれで楽ではあるんだ。考えることが少ないから。
 それに、今度は若いきみたちが現れた。特にキッドくんや折紙くん、きみたちがね、こう、目をキラキラさせて見上げてくるとねぇ……言えないじゃないか。ほんとうの私は立派でもなんでもない、ただの平凡な男だなんて」
 頬杖をつき、大きな右手で頬をくるんで、キースさんは困ったように眉を下げる。
 そんなことない、そんな顔しないでください。僕も、キッドだって絶対、幻滅なんかするわけない。そう言おうとして、僕はグラスを持ち上げて喉を湿らせた。
 けどその瞬間、
「そうそう、それともうひとつ。私はゲイでね」
 ブフォッ! と僕はアイスティーを吹き出した。キースさんは素晴らしい反射神経でトレイを盾にして身を守る。ひどい。
「って、あなた前に名前も知らない女の子に恋しちゃったとか言って女子組にさんざんいじられてたじゃないですかー!!」
「だからあれが私が女性に対して抱いた初めての恋心だよ。それで、どうしたらいいかわからなくてね。男のオトしかたなら心得ているんだが」
「オトすとか言うなー! てかあなたさっきナンパ断ってたじゃ!」
「私にも夜をともにする相手を選ぶ権利くらいあるじゃないか。ああいうのはあまり好みでは」
「やめてなんか生々しい!!」
 耳をふさいで僕は叫ぶ。確かに僕らの知らないキースさんに興味はすごくあったけど、あと同性愛には別に偏見ないけど、でもなんかやだ! ヒーロー仲間の赤裸々な下半身事情とか知りたくないでござるよ! あとキースさんの笑みがなんか性的でちょっと怖いです!!
 ……プライベートでもスカイハイキャラ通せって言った事業部長さんの気持ちが、ちょっとわかる気がしてしまった。
 このひと、けっこういろいろだめだ。たぶん。
 そうだよ、よく考えたらあの天然っぷりが全部演技なわけないじゃないか。

 ビーッ、ビーッ、ビーッっと、耳慣れたコール音が響いたのはそのときだった。

 キースさんと僕は同時に左手首に視線を移す。
『Bonjour, HERO』
 装着者だけに音声の聞き取れる特殊な伝導システムが、アニエスさんの声で出動要請を伝えてくる。NEXTによると見られる強盗事件、犯人はブロンズステージメインストリートを逃走中……わあ! ここから近いじゃないか!
『スカイハイと折紙、GPSの信号が同じだけど一緒にいるのね? 貴方達がいちばん近いわ、トランスポーターは現場近くで待機してるからすぐ向かって頂戴。今日も派手に頼むわよ!』
 視聴率の魔女と異名をとる美人プロデューサーの発破をかける声を、僕とキースさんは連係プレーでテーブルの上を片付けながら聞く。ドリンクの残りを一気飲みして(フルフェイスマスクは飲食できないからとにかく喉が渇く)ごみ箱に叩きこみ、体当たりの勢いで店のドアをくぐって、僕らは夜の街に駆けだした。
「さあ、今日もがんばろうか、折紙くん!」
 走りながら、ビシィ! と角度を付けて手を止めて、キースさんが笑った。
 あ、もうオンになってる。
「救助ポイントは全部拙者が頂くでござるよー!」
 僕も折紙スイッチをオンにして、にかりと笑った。
「頼もしい、実に頼もしい! 犯人確保は私に任せてくれたまえ! さっさと解決してさっきの話の続きをしようじゃないか!」
「つっ、続きはちょっと微妙でござるが、拙者ももうちょっと『ジョニーさん』とお話してみたいでござる!」
「私も話をしたい、そしてイワンくんをオトしたい!!!」
 はいいいいいい!?
 いきなりなんてことを言うんですかこのバッドマンがああああああ!
「そそそそそういうことは、オフのときに言ってくださいでござるー!!!!!」
 反射的に叫び返して、
 あれっ?
 待て待て待て待て、
 ちょっと待ってやばいやばいやばい間違えた、
 僕の死亡フラグ立っちゃった? 立っちゃった? うん、ビンビンに立ちまして候!
 僕はさあああああっと青ざめた。
「了解した!」
 きらっきらのスカイハイ笑顔で、キースさんは笑った。

 その日、記録的なスピードで犯人確保をしたのはスカイハイさんだった。
 その後の僕らの会話(というかなんというか)は…………黙秘権を行使するでござる。

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