ロイエからその報がもたらされたのは、リーベルの死から十年ほど過ぎたある日のことだった。
あれからも俺達は地下での暮らしを続けていたが、変わったことがいくつかある。そのひとつがこれ、地上と地下を結ぶ通信設備だ。無線通信では届かない深さのため、地上に設置したアンテナからケーブルを伸ばし、こちらの機器に繋いでいる。
リベリオンを中心とした対アーク地上勢力にとって最も避けたい展開が、天子アルムがふたたびナーヴ教会の手に落ちてしまうことだ。しかし、死を振りまく呪術兵器であるアルムには、呪いを無効化する聖印を持つクヴァル以外の護衛がつけられない。肉体の死を持たない俺達は、その数少ない例外だ。最悪の事態が起きたときのため、連絡手段を確保したいと頭を下げてきたのはそのクヴァルだった。
彼らのアジトと地下を短時間で行き来するための道も、俺とコノエで新たにひとつ整備した。地上の喧噪からはずっと離れて暮らしてきたし、今さらアーク打倒に身を投じる気もないが、乗りかかった船だ。その程度の助力はしてもいいと思えた。天空都市にまで赴いて救ったアルムの命が知らぬところで奪われてしまっては、寝覚めが悪い。
さて、そのようにして整備された通信設備だが、取り付けてみると活躍の機会が予想外に多かった。アルムの放送に耳を傾けるのもそのひとつだし、クヴァルやアルム、リベリオンの面々からも、しばしば連絡が入る。コノエは過酷な環境でも育つ作物やゴウトの軍事教練の知識を披露していたし、クオンはアルムと天子ならではの話をすることもあるようだった。そして俺に対してはいつしか、主にクウラやロイエから、組織を束ねる立場としての相談が持ちかけられるようになった。どうやらコノエが昔の俺の治世について大袈裟に語ったのが原因らしい。千年以上も昔に血統によって即位した、そして己の過ちによって国を失った王の話など役に立つまいと思ったが、案外得るものもあるようだ。
そうやって地上とのやりとりが日常の一部になっていた頃だったから、その日も特に気負うこともなく応じた通信だった。
『この間も話したけれど、少しずつアーク内部にも協力者が増えていてね。僕の部屋に残したままだった物を届けてくれたんだ。当時は慌ただしかったから、なにも持ち出せなくてね。もちろん、仕事関係のデータや書類はとっくに押収されていたけれど、私物はけっこう残っていて』
「それで」
『情緒がないなぁ。せっかちな子は長生きできないよ……って、僕の二百倍くらい生きていらしたっけ? 失礼、陛下。でね、書類入れの中にエーテルネーアからの手紙が紛れていたんだ』
「なんだと?」
『差出人はもちろん偽名だし、当時頼んでいた僕んちの家政婦さん、なかなか有能でね。置きっぱなしにしないで、過去の私信とまとめて整理してくれていたから、教会の手先にも見つからなかったみたいなんだ。ああそう、実は、彼と僕は昔、手紙のやりとりをする仲でね。彼も難しい立場だから、寂しかったんだろうな。僕にしてみれば保身でしかなかったわけだけれど……』
「前置きが長い」
『ごめんごめん。年寄りだから、昔話が好きなんだ。それでね、エーテルネーアからの最後の手紙だけれど、十年前、彼が死ぬ前日の日付でね。内容は他愛ないものだったけれど、どうにも妙なんだ。やたら言い回しが固かったり、かと思えば無理に省略していたりする。言葉に長けた彼らしくない。不自然なものには、何かが隠れているものさ。
……なんだけど、情けない話、そこで詰まってしまってね。暗号の研究やってた部下にも見せてみたんだけど、お手上げでさ。ただ、その彼が言うには、古語が混じっているようだって。悪いんだけどこちらに来て、読んでみてくれないかな』
「……なるほど」
相槌を返し、室内を見渡す。察しの良いコノエは、すでに荷の準備を始めているようだった。俺の顔を見て、親指を立てて寄越す。
「わかった。なるべく早く、そちらへ行く」
『よろしくね。コノエくんとクオンちゃんも来るかな?』
「いや。俺一人だ」
『了解。お菓子とお土産の用意しとくね、陛下』
軽口を最後にぷつりと通信は切れる。俺が立ち上がったのとほとんど同時に、外套が肩に着せかけられた。
「……仕事が早いな」
「なんかすげぇ面白そうッスもん! 話聞かせてくださいね!」
「なにかあればな」
「行ってらっしゃい、カバネ」
するりと隣に寄ってきたクオンが、そう言って手を差し出す。俺はひとつ息をつくと、その手を取った。
もう一度クオンと会話をするようになって、俺達の間にはいつのまにかひとつの約束事ができていた。長く――といっても生きてきた時間に比べれば瞬き程度の日数だが――離れるときには、握手をする。
人の手の温かさも、最近になって思い出したことのひとつだ。
「行ってくる」
「気をつけて。幸運を祈るよ。お土産も楽しみにしてるね」
「ロイエに言うんだな、それは」
「あはは、うん」
短い会話をかわし、コノエが手早くまとめてくれた荷を受け取って、ねぐらをあとにする。
十年前までは考えられもしなかった――しかし今では日常の一部でしかないやりとり。そんな日々が、この先もずっとこの場所で続いていくのだと。
そのときの俺達は、まだ、そう思っていたのだ。
「これなんだけどね」
到着した俺をリベリオン本部の作戦室に案内し、ロイエは数枚の便箋を差し出した。十年前のものだというが、古びた様子のないのは、さすがはアーク製品といったところだろう。飾り気はないが品の良い便箋には、書き手の教養や高潔な人格が窺える、惚れ惚れするほど美しい字が並んでいた。エーテルネーアという人物については伝聞でしか知らないが、なるほどこの人物がナーヴ教会の頂点にいたならば、さぞかし苦悩が大きかったことだろう。
一枚目の内容をざっと目で追い、ふむ、と俺は頷いた。顔を上げてロイエと目を合わせる。
「おまえの見立て通りだな。平凡な手紙に見せかけているが、これは暗号書簡だ」
「やったね。どういう暗号?」
「まず、ここと、ここ……、それから、ここ。古ナーヴ語で使われていた単語が、不自然にならないようにいくつか混じっている。そして、これとこれは現代アーク語でも使われる単語だが、綴りや符号がおかしいだろう。これも古ナーヴ語の書き方だな」
「古ナーヴ語?」
「そうだ。現在、世界のほぼ全域で使われているのは現代アーク語と、その各地方言だが、これもナーヴによる文明破壊の結果だ。ナーヴ人の言語であるナーヴ語を元にアーク語が作られ、これが世界に広まったんだ。このナーヴ語が、お前たちの言うところの『古語』だな。そして、ナーヴ語のさらに古い形が、古ナーヴ語だ。俺達の時代でもすでに、半ば過去の言葉だった」
「へえ……。知らなかった。まあ、アークが教えるはずもないか。さすがだねぇ、陛下」
ヒュウ、と口笛を吹いたロイエが、茶器を差し出してくる。砕けた言葉遣いと揶揄うような敬称はいつもと変わらないが、来訪者をもてなすより先に解読を始めさせたあたり、いつも飄々としたこの男も内心ではずいぶんと逸っていたようだ。
「それでそれで? なんて書いてあるのかな」
「落ち着け。おそらく、古ナーヴ語にあたる単語を拾っていくと、意味が通じるようになっているのだろう。ふむ……、『天』、……『子ども』、『解く』、『毒』。それから……『書』、『聖なる』、『学ぶ』『奥』『小屋』、……これは数字か。2、6、7……。『隠す』『読む』『可能』『古い』『ナーヴ』。…………これは…………」
そこまで読んで顔を上げると、ロイエがつねの眠たげな表情を一変させ、真剣な眼差しでこちらを見ていた。彼の手元の紙には、俺が読み上げた単語が走り書かれている。
「ねえ、――これって」
「おそらくは、そういうことだ」
頷き合う。さすが元ユニティオーダー隊長にして、現リベリオンのナンバー2。聡い男だ。これだけの情報で、俺と同じ結論に達したらしい。
――天子の毒を解く。聖なる書、学びの小部屋の奥。二六七。隠した。古きナーヴの言葉で読める。
すなわち。
ナーヴ神殿のどこかに、天子の呪いを解く儀式を伝える書物が眠っている。
「考えられる場所としては、まず教会の書庫だろうが……」
「待って、見取り図を出すよ。うーん……、どうかなぁ。書庫はここ、こっちがエーテルネーアの私室と、執務室。ミゼリコルドの部屋がここ。書庫にしろ、エーテルネーアの部屋にしろ、ミゼリコルドの行動範囲に近すぎるんだよね。
エーテルネーアはアルムを解放し、天子の呪いを終わらせたいと考えていた。それを提案したために、ミゼリコルドに殺された。その彼が、殺される前夜に、わざわざ暗号を使って僕に情報を送ってきた。これは保険だよね。ミゼリコルドを信頼しきれてなかったってことでしょ」
「そうだろうな」
「じゃあ、もう少しわかりにくい場所に隠すんじゃない? 『学ぶ』で『小屋』だっけ、気になるな。ふむ……」
指先で唇をなぞりながら、ロイエは中空を見つめる。
相も変わらず美しい男だな、と、埒もないことをふと考えた。見た目にそぐわない実年齢を聞かされて驚いたのは何年前の話だっただろうか。若作りじゃ負けるけどねぇ、などと笑って軽口を叩いた美貌の男も、加齢と無縁ではいられない。目尻には小さな皺が刻まれ、肌艶にも変化がある。時間の流れは無情で、平等だ。
そんな常識的なことを、この十年で久々に目の当たりにしている。誰も彼もみな俺達三人を置き去りに、育ち、老いて、死んでいく。
「クヴァルくんに聞いてみよう。彼は子供の頃から敬虔な信徒で、アルムのお付きでもあったしね。教会の施設については、たぶん彼のほうが詳しいよ」
「なるほど」
少し待っていて、とロイエは足早に部屋を出て行く。ぬるくなった茶を口に含みながら、俺は改めて便箋に目をやった。流れるような文字は、書き手の心理を示すように、文章の終盤にかけてわずかに乱れていた。
天子の呪いを完全に解く方法などないと――過去にあったとしても、とうに失われていると、俺はこの数百年あまりずっと思い込んでいた。天子を作り出したナーヴの呪術者たちに、解呪の方法を編み出す理由も、それを後世に伝える理由もないからだ。ゴウトの国をあげて取り組んだ研究も、俺とクオンとコノエから死を奪い、天子の呪いを次代に移し替えるだけの、不完全な方法でしかない。ゴウトが滅び、わずかな人数で地下に移り住んでからも、生き延びた者たちは懸命に研究を続けが、結局誰も目的を果たさぬまま、無念のうちに死んでいった。
ゴウトの滅亡は、国民の死、戦力の壊滅だけでなく、文化と知識の断絶をも意味していた。俺達が地下に息を潜めたまま、ひっそりと滅びていくうちにも、ナーヴは次々と他国を平らげて、知識と文化を独占していた。呪いを完全に解く方法は永遠に失われたのだと諦めたのが、その頃だ。
だが、その長い長い年月をこえて、天子を呪いから解放する真の呪法はナーヴ教会に受け継がれていたのだという。ミゼリコルドの言動から推測した限りでは、おそらくはナーヴ教会の頂点に立つ者だけが引き継ぐ秘術であったのだろう。
何故――。
その問いに答える者は、もういない。
想像するだけだ。ある者は苦悩の果てに、ある者は当然のこととして、ある者は小さな良心の呵責から目を背け、天子の呪いを代々引き継ぎながら、それを滅ぼす禁呪もまた、誰一人行使することなく、しかし誰一人隠滅することもなく、引き継ぎ、伝え続けた年月を。その、想いを……。
「お待たせ」
通信士を伴って戻ったロイエの声が、俺を現実に引き戻した。つながった通信の向こうで、クヴァルがロイエの質問に唸るような声をあげる。
『ミゼリコルドの目の届かない場所で、書庫のような場所、ですか……』
「思いつかない?」
『うーん……すみません』
「謝る必要はないよ。アークを攻略してから、教会内部をしらみつぶしに捜索するしかないか。エーテルネーアも、もう少しわかりやすく書いてくれたらよかったのにねえ。そもそも暗号が古語のそのまた古語だなんて、長生きの王様がいなけりゃ初手でお手上げじゃない」
ロイエがため息混じりに漏らした愚痴に、脳裏にひらめくものがあった。
「――待て。それだ」
「ん?」
「マイクを。クヴァル、聞こえるか。アルムをそこへ呼べ」
『その声はカバネか! 久しぶりだ! ここにいるよ、私も一緒に聴いていたんだ』
クヴァルが応じるより先に、聞き慣れた快活な声が届いた。アルムの声は出逢った頃より少し低くなり、無垢な子どものあどけなさを失う代わりに、青年らしい闊達さを手に入れた。彼を遺して死んだ男のそれにも、今も隣で彼を守護する男のそれにもどこか似ているが、そのままではない、彼自身の持ちものだ。
「アルム。――”聖なる書は学びの小部屋の奥にあり”。今の言葉の意味がわかるか」
『え…………』
回線の向こうで、アルムが息を飲む気配がした。
『どうして、カバネが【ひみつのことば】を知っているんだ……?』
『アルム、今のは? 俺には知らない聖句のように聞こえたが、きみには意味がわかるのか?』
「あとで説明する。アルム。俺の言った意味がわかったか。誰に教わった?」
『ええと……おとぎばなしのえほんは、べんきょうべやのひみつきちにあるよ――だと思う。エーテルネーアは【ひみつのことば】って呼んでいた。クヴァルにも、ミゼリコルドにも内緒だと……、そう、今思えば、やけに熱心に教え込まれたな。文字も、発音も、覚えるまで何度も繰り返させられて。ときどき、【ひみつのことば】をヒントにして、宝探しをするんだ。私は部屋から出してもらえないから、隠せる場所もたいしてないんだが、正解したら美味しいお菓子をこっそりくれて。――今の今まで、すっかり忘れていた。カバネ、どうしてあなたが知っているんだ?』
戸惑いながらアルムが説明するのと並行して、王様、と顔を寄せてきたロイエが鋭く囁いた。今の、と短く問われ、頷きを返す。それだけで通じたのだろう、ロイエはふーっと強く息を吐き出すと、眉間に手を当てた。エーテルネーア、と呟くように呼んだ声音は、先程よりもどこか柔らかい。
「……アルム。今のは、天子の呪いが生まれた頃の、ナーヴの言葉だ。古ナーヴ語、という。文字はアーク語と似ているが、発音するとナーヴ教の聖句のように聞こえるだろう。聖句自体が古ナーヴ語を元にしているから、当然なんだがな」
『うん……?』
「詳しいことは追って説明するが、現時点での結論を伝える。――アルム。天子の呪いを、完全に解ける可能性が出てきた」
『っ、どういうことだ、カバネ!? ミゼリコルドが、解呪の方法はエーテルネーア様の死とともに永遠に失われたと……!』
「そうだ、クヴァル。おそらく、誰もがそう思っていた。だが……」
俺がそこまで口にしたところで、横から出てきたロイエの手が、通信機のマイクを取り上げた。
「やあ、アルムくん。さっき王様が読み上げたフレーズはね、生前の、おそらくは殺される直前のエーテルネーアが僕に宛てて出した手紙に、こっそり忍ばせてあったんだ。王様が読み解いてくれた」
『エーテルネーアが……』
「彼はきみを呪いから解放しようとしていた。だが、それが危険な選択だと、彼なりに予見していたのだろうね。呪法自体が失われることのないよう、保険を掛けたのだろう。きみ自身がいつかこの手紙を目にして、”おとぎばなしのえほん”を探し出せるようにね。
なぜ彼が僕に託したのかも、今、わかった。僕が、シャオを拾って育てていたからだ」
『っ――』
息を飲む気配が通信機から届く。
「僕らが考えていたより、彼はきみのことを大事に思っていたみたいだ」
『………エーテルネーア……っ』
涙混じりの響き。回線の向こうの空気の震えまで、まざまざと伝わるようだった。クヴァルがアルムの名を呼ぶ声と、肩を抱き寄せたのだろう衣擦れの音が、小さく聞こえる。
「まだすべてが推測段階だから、間違っているかもしれない。すでに破棄されてしまっている可能性も考えなければいけないだろう。でも、希望があると信じるほうが、僕達らしいからね」
『はい』
力強く応じた声はクヴァルのものだ。
『信じます。すばらしい知らせだ……。ありがとうございます、ロイエ隊長』
「もう隊長でもきみの上官でもないけどね。まあ、期待していてちょうだいよ。
アルムくん、きみが僕らに期待をして、きみの放送で明るい未来を語ってくれるぶんだけ、僕らは勇気づけられるんだ。いい循環じゃない?」
『――ああ! きっと、そうする!』
ロイエの朗らかな調子に合わせ、アルムが声を弾ませる。
この日、確かに――、
俺達の終わりの物語は、動き出したのだ。
リベリオンの基地から通信で簡単に状況を伝え、戻った地下のねぐらは様子が一変していた。
「あっ、カバネさーん! お帰りなさいッス!」
「……なんだ、これは」
「おかえり、カバネ。見ての通りだよ。引っ越しの準備をしているんだ」
てきぱきと立ち働くコノエが動きを止めないまま声を投げて寄越し、本を大量に抱えたクオンがよたよたと歩きながら、こちらを向いて微笑む。
「……おい、コノエ」
何はともあれとクオンの細腕から貴重な書物を救い出しながら唸ると、気の良い従者はからからと笑って、武器庫から運び出したのだろう木箱をドサリと床に降ろした。
「いやぁ、だってどう考えても長期戦になりそうじゃないッスか。いちいちあっちとこっちを行き来するのも面倒だし、今度こそ俺だって戦力になりたいスよ。そしたらクオンさんだけここに置いてくとかないでしょ? 帰ってきたときに干からびてぺしゃんこのクオンさん発見するの嫌ッスよ、俺」
「僕ら、お腹がすいても死なないのはいいけど、すきすぎると動けなくなってしまうから、困るよね」
「荒事は無理でも、文献読むならクオンさんも頼りになりますしね!」
「万一の盾くらいになら、僕だってなれると思うな」
「なるべくやめたげてくださいよ、カバネさんの心が死ぬんで」
「――いや、ちょっと待て。前提がおかしい」
「なにがだい? カバネ」
「地上の争いに加わるとは、俺は一言も言っていないんだが」
「言ってないッスね!」
「うん、聞いてないね」
こくこくとコノエとクオンが頷く。俺は目眩を感じて額を押さえた。つくづく思うが、不死になろうが目眩がするのは理不尽じゃないのか。死を奪うなら、死に繋がるなにもかも、まとめて奪ってくれればいいものを。
「言っていることとやっていることが矛盾していないか」
「矛盾していないよ、カバネ。確かに、キミは僕らにこれからのことを何も言わなかった。でもそれは、キミがなにも計画していない、ということと、イコールではないだろう?」
俺の目を覗き込むように、クオンが顔を寄せてきた。たじろぐのも癪だが、拭えない居心地の悪さに腕の本を抱え直す。
「僕も、コノエも、こういうときにキミがどう行動するか、心得ているつもりだよ。こんなに一緒にいたのだもの」
「……それなら、俺の今の心境も想像できるだろう」
むっつりと言い返した俺をクオンはじいっと見つめ、それから、我慢ができないというふうに吹き出した。そのまま、腹を抱えて笑い始める。追うようにぶはっとおかしな声を立て、コノエまでもが床に座り込んで爆笑し始めた。
……おい、こら。
「あはははは! ねえ、ねえ、コノエ、やっぱり怒られた!」
「ひーっひっひっひ、大当たりッスね! うひゃひゃひゃ、やっべ、腹痛ぇ」
「…………おまえたち…………」
「きゃー! カバネ様が怒った!」
「お許しください国王陛下~!」
ふざけたことを言いながら笑い転げる二人に、毒気はすっかり抜けてしまった。本を手近なテーブルに放り出し、椅子にだらしなく腰を下ろす。
帰路を休まず歩き通した疲れが、今更のように身体にのしかかってくる。損傷した端から回復する肉体でも、疲労は感じるし、腹も減るのだ。ため息をつきながら、頬を手で支え、様変わりした根城をあらためて見渡した。コノエの働きでつねに居心地良く保たれていた住処は、近年見たことがないほど雑然としていた。けれど、その雰囲気は不愉快なものではない。
変化とは、いつも唐突で、心を高揚させるものだ。
二人と相談すべく脳裏にまとめていたあれこれが、ゆっくりと霧散していった。
「……何日かかる」
「三日ってとこスかね」
「わかった。悪いがひとまず手を止めて、飯にしてくれ。腹が減った」
「あー、そッスよね。すんません、気づかなくて」
即座に立ち上がった忠実な我が右腕を見上げ、ニヤリ、と笑ってやる。
「……ここの野菜で作るおまえの手料理も、しばらく食べ納めになるだろうからな」
コノエとクオンが目を見交わし、また同時に吹き出した。回りくどいだの、素直じゃないだの、実にやかましい。
仕方がないだろう。言葉にする前に先回りされて承知されたことを、いちいち口に出して言えるほど、素直じゃないんだ。
エーテルネーアの書簡が連れてきた小さな希望が、なにを芽吹かせるのか、まだ一切わからない。俺達を不死たらしめているのは天子の呪いそのものではなく、死の呪いに干渉した反動だ。アルムの呪いが解けたとしても、俺達が得るものは、なにもないかもしれない。
言い換えれば、少なくとも「わからないもの」がまだ存在しているということだ。
時の流れは無情だ。地上の人間たちは、我々を置き去りに日々老いていく。当然の事実を、地上と再び関わるようになったこの十年間で久々に思い出させられた。
地上の喧噪を地下から傍観するうちに、願い半ばに皆死に絶えて、見つけたかすかな希望すら手からすり抜ける――アルムとロイエの会話を聞きながらそんな未来を想像して、居ても立ってもいられなくなった。
これはあいつらの紡ぐ物語だと、放り出すのはもう終わりだ。
「三日かぁ。それなら……」
俺とコノエの会話を受けて、クオンはのんきに、次の食事のリクエストを考え始めたらしい。コノエが作業をする台所からは、早くも食欲をそそる匂いが流れてくる。
気が遠くなるほど繰り返した、変わらぬ日々が、今日はやけに愛おしい。我ながら、気が早いことだ。
読み飽きた本を手に取って、ぺらりとめくった。物語の、始まる音のようだった。
「終わりってのは、呆気ないものだねぇ」
両肩をひょいと竦めて、ロイエが苦笑した。その足元には美々しい黒衣をまとった死体がひとつ、ごろりと転がっている。
地上勢力と天空都市アークの抗争は、アークを支配するナーヴ教会の内部崩壊という形で幕を閉じた。
大司教エーテルネーアの死後、ナーヴ教会の頂点に立ったミゼリコルドは、その政治手腕と聖印を媒介とした呪術、催眠じみた人心掌握の技を駆使し、盤石な支配体制を築いたかに見えた。地上への攻撃と搾取も一層勢いを強め、多くの地域が無慈悲な暴力に晒された。ロイエと彼を慕う部下の離反によって人数を減らしたユニティオーダーにはミゼリコルドに忠誠を誓う教会勢力が送り込まれ、対話を掲げるリベリオンのみならず、ロイエ・ライデンらかつての同胞へも容赦なく攻撃が繰り返された。いくら地上勢力が意気軒昂であっても、アークの独占する莫大な富と資源は、圧倒的な戦力差として立ちはだかった。
しかし、ミゼリコルドにも泣き所があった。そもそも、権勢欲の強いミゼリコルドがエーテルネーアに次ぐナンバー2に甘んじていたのは、血統主義のナーヴ教会において、大司教を名乗る権利を持たないからだ。ナーヴの大司教は、かつてのナーヴ王室の遺伝子をかけあわせた、生まれついて特権者たる子供らから選ばれる。ミゼリコルドの父もその一人であったが、その選から漏れたのち一般信者を妻に迎え、生した子を次代大司教の学友にすべく育てたのだという。
エーテルネーアが死に、天子アルムも失い、権威の後ろ盾を持たないミゼリコルドが、徐々に人望を失うのも道理ではあった。
アークに残した内通者から少しずつ糸をつなぎ、教会内部の反ミゼリコルドの気運を把握したロイエが仕掛けたのが、アルムによる映像ジャックだ。
野蛮な下界の民の手に落ち、尊い命を落とした――かつてそのように語られ、アークの民に下界への憎悪と蔑みを植えつけた「悲劇の天子」アルムが、健康的に日に焼けた青年となり、人々へと連帯を語りかける。その立体映像は、天空都市アークの至る所に出現した。民の多くは悪戯と一笑に付し、あるいは天子を騙る偽者よと憤ったが、十六になるまで四年に一度民衆の前に姿を見せていたなよやかな少年の姿の面影を、映像の青年に見出した者も皆無ではなかった。
朗々とナーヴの聖句を諳んじた「天子アルム」は、かつてそうしたようにアークの民の安寧を祈り、祝福すると、地上の人々を魅了し続ける朗らかな笑みを浮かべ、地上の美しさ、地上に生きる人々のあたたかさを語った。
『私は、私の意志で、ここにいる。あなたたちもどうか、あなたたちの意志で、生きる道を選んで欲しい』
珍しく自ら志願して潜入工作に加わったロイエは、アークの街中に響いたアルムの声に耳を傾けながら、懐かしげに笑ったものだ。
――僕の息子も昔こんなふうに人々に語りかけていた。盛大に猫を被ってね。あれを聞くのが好きだったな。
様々なものを託され、背負いながら、アルムは語る。
『あなたたちは、下界に暮らすのは汚れた罪人で、アークに暮らすのは祝福された民なのだと教えられている。けれど、アークに住む人々も、地上に住む人々も、なにも変わらない。ただ、生まれた場所が違うだけなんだ。同じ人間なんだ。私は地上に来て、それを知った。あなたたちにも、知って欲しい。あなたたちの目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、あなたたち自身に判断して欲しい。誰かに教えられたことをそのまま信じるのではなく、自分で選んで、あなたたちの人生を生きて欲しい』
皮肉なことに、アルムのその言葉に心動かされたのは敬虔なナーヴ教徒が多かったのだという。斜に構えて語るならば、それすらもまた他者への依存ではあるのだろう。
他者の敷いた道を辿る生はたやすい。
だが少なくとも、どちらが己の信じ頼るべき存在かと悩み、選んだ経験は、人々の中に自由の種を蒔いたのだろう。
無論のこと、映像ジャックがなされたのは、ほんの短時間だった。だが、ロイエとクウラの執念は、数年を掛けてアーク全土に協力者の網を張り巡らせていた。幾度ルートを潰されても別の角度から入り込み、繰り返しアーク各地にアルムの声と姿を届ける。
『私は天子として育てられた。でも本当は、奇跡の力など持たないんだ。アークは豊かで、地上はそうではない。それは祝福された民だからじゃないんだ。たまたま、そこに住んでいる人々が、富を分けあわずに、少数で独占しているだけだ。私は、地上に暮らす私の友人たちにも、アークに暮らすあなたたちと同じように、豊かで、安全で、幸せな日々を暮らして欲しい』
アルムは日々、真摯に語りかける。かと思えば、ある日は歌い、ある日は踊った。いきいきと目を輝かせ、生きたい場所で生きる幸福を、全身で謳歌して見せた。
結局それが、崩壊の萌芽となった。
一般信徒の間に膨らんだミゼリコルドへの疑念と、ミゼリコルドを追い落としたい一派の思惑が結びつき、治安維持を担うユニティオーダーも派閥闘争から指揮系統に混乱が生じた。その亀裂にロイエの手先が巧みに入り込み、大司祭エーテルネーアの死の真相を、噂の形をとって浸透させた。
事態の進展は予想以上に急速だった。屈強な護衛を常に引き連れていたミゼリコルドだったが、エーテルネーアの名を呼びながら駆け寄った襲撃者を無慈悲に返り討ちにした冷酷さが、群衆の憎悪の引き金となったのだという。一報を受けた我々が大聖堂に駆けつけたときには、混乱は頂点に達し、静謐な信仰の場は怒号飛び交う戦場になっていた。
物言わぬ骸と化したミゼリコルドを一瞥し、ロイエは驚愕に見開かれた両目を、生身のほうの指で閉じてやった。
「相変わらずクソムカツクお綺麗な顔だこと……。さてと、おーい、クウラくん聞いてる? ライデンくん連れてとっとと上がってきて。混乱してる隙に教会脅しつけて講和結んじゃお」
『マジかよ……。わかった、今から行くわ』
「ちょっぱやでね~。さて、面倒だけど僕が出張る場面かねぇ、これ」
「だろうな」
「だる……。ま、頑張りますか。じゃあ王様、その間に教会探検お願いしていい?」
「承知した」
クウラとの通信を終えたロイエと目を合わせ、頷き合う。この混乱は、千載一遇の好機だ。エーテルネーアが暗号文で示した”聖なる書”――俺達の推測が正しければ、天子の呪いを解く手がかりとなる呪術書は、大聖堂の奥深く、天子アルムのかつての居室に眠っている。それを探し出すことこそが、千年もただ傍観し続けた地上の混乱に今更身を投じた俺の、本来の目的だ。
怒号飛び交う大広間を後にし、人目を避けながら奥へと足を進める。リーベルが死んだ日とよく似た状況に、自然と自嘲の笑みが唇に浮かんだ。あの日、もう一度英雄になりに来たと嘯きながら、俺の成し遂げたことなど何もなかった。世界最強の男を仕留めたのはロイエだったし、アルムはリーベルを生かすための解呪を選びはしなかった。俺はあの日も、何ひとつ変えられぬまま、すごすごとねぐらに逃げ帰った役立たずだ。
だが――英雄になど、ならなくてもいいのだろう。時代とは、一人の英雄によって創られるものではなく、人々の願いの集合体が押し流していくものだ。おそらくは、ただ一人の英雄になろうとしたことこそが、俺の過ちの始まりだった。
それでも――。
逸る気持ちのまま、ひやりと冷たい床を駆け抜ける。それでも、今度こそ。俺がこの場所にいる意味を、手に入れられるならば。
世界を救う英雄でなくとも構わない。
友のためになにかが出来るならば、それで、充分だ。
迷路のように入り組んだ居住区の最奥、牢獄めいた重い扉の向こうに、アルムが十六年を暮らした部屋はあった。ろくに手入れもされていないと見えて、埃っぽい匂いが漂っている。
貴人の暮らす部屋らしく、かなりの広さがいくつかに仕切られており、北東にあたる一角がアルム曰くの「勉強部屋」だった。壁一面に作り付けられた書架には、分厚い本がみっしりと詰まっている。ざっと背表紙に目を走らせ、俺は初めてアルムに会ったときと同じ感慨を抱いた。地誌、生物学、科学技術、修辞学、寓話集、物理学、統計学、歴史、哲学――。古びた本もあれば、比較的新しいつくりの本もある。アークを出たばかりのアルムは世間知らずの子供だったが、言葉の端々からは豊かな教養が窺えた。呪術兵器である子供に教育を施した理由など、ここで俺が考えても意味はないのだろうが。
気を取り直し、改めて書架の端から端まで眺め渡す。天井から足元までを埋める書架の再下段には、子供向けの寓話だろう、やや古びた、さほど厚みのない本が並んでいた。しゃがみ込み、一冊ずつ取り出して中身を改めていくと、三十冊ばかり外れを引いたのちにそれらしきものを見つけた。
革張りの表紙には装飾的な題字が踊り、開いた一枚目には祈りを捧げる少年の挿画がある。内容はどこにでもあるような道徳説話だ。周囲に当たり散らすきかん気の子供が、聖人に己の罪を教え諭され、悔い改め、離れていった友と再び手を取り合う。
平易なアーク語で書かれた平凡な物語の中に、古ナーヴ語と共通する単語が現れる。エーテルネーアがロイエに宛てた書簡と同じだが、より洗練されたやり口だ。おそらくエーテルネーアの書簡自体が、これを真似て書かれたものだろう。
いくつかの単語を拾って読み進めてすぐ、推測は確信に変わった。
「……本当にあったのか……」
間違いない。
この本こそが、長い長い呪いをほどく、世界でただひとつの鍵だ。
(続く)
