イミテーション・ドリーム

 幼い頃から、どんなことでもすぐに人並み以上にできるようになった。
 勉強やスポーツは言うに及ばず、歌やダンス、習字に絵画、料理や菓子作りもそうだ。そんな一織を周囲はしばしば「天才だ」と持て囃したが、そういうものではないのだと、一織本人が最も冷静に理解していた。
 一織が突出しているのは、提示された手本を理解し、寸分違わず習得する技術だ。自分の現状と手本との正しい距離を測り、自分に足りない箇所を見極め、正しい技術を最短で習得する手順を理解し、その通りにこなしていく。それができる頭脳と身体能力が、一織にはある。
 手本が提示されない場合は、模倣すべき良いものを自ら見定める。いくつかのサンプルから見習うべき箇所を抽出し、バランス良く組み合わせ、それを自分のものにする。
 そのようにして出来上がったのが、”パーフェクト高校生”和泉一織という人間だ。
 よく出来た人造宝石のようなものだ。美しいが、目新しい価値や希少性はない。非常に優秀だが、ありふれた秀才でしかない。
 兄である三月は、一織とは全く違う人間だ。童顔で小柄な、かわいらしい姿の中に熱い魂を宿した一織の兄は、唯一無二の和泉三月という人間だった。弟としての贔屓目を差し引いても、素晴らしい個性と魅力が、三月にはある。
 鉄火肌で面倒見のいい三月には、友人がたくさんいた。誰もが三月自身を求めて、彼のそばに寄り添う。
 一織に近寄ってくる人間が、顔の綺麗な少年を、優秀で聞き分けのいい児童を、勉強のできてしっかり者のクラスメイトを、求めるのとは違った。
 三月がオリジナルケーキに挑戦したのは、三月がアイドルを目指してオーディションを受け続けながら、製菓学校に通っていた頃だ。盛大に悩み、両親と何度も口げんかをし、いくつもの失敗作を生み出しながらも、三月がたどりついたオリジナルケーキは、繊細さと大胆さを兼ね備えた、とても三月らしいものだった。
 可愛らしい姿のそれに一番にフォークを入れる栄光にあずかり、一織は目を輝かせて兄を褒めちぎった。小さく切り分けて、大事に大事に口に運びながら、三月が照れて音を上げるまで賛辞を口にし続けた。そうしながら、深く深く絶望していた。
 こんなに素敵なものを自分自身が生み出す日は来ないと、理解してしまったからだ。頭の中で何度シミュレーションしてみても、自分のオリジナルを作るという思考が、一織にはわからない。新しく生まれた良いものの素晴らしさはわかるのに、それを自分で作る方法が、まったくわからないのだ。
 憧れの、大好きな兄のようには、自分はけしてなれない。人真似が得意なだけの、がらんどうの和泉一織。それが自分だった。
 それでも、世間の人々は一織を完璧だと褒めそやし、羨む。三月と一織を比べて一織を褒める心ない人も少なからずいた。小柄な三月の身長を一織が追い越してしまったのも、この頃だ。顔立ちが幼く、くるくると表情を変える三月と、大人びた顔立ちで表情に乏しい一織。名前のこともあって、一織が兄、三月が弟と誤解する人も増えた。一織が中学を卒業する頃には、むしろ年の順を正しく当てられる方が珍しいほどだった。
 連れだって街を歩いているとき、声をかけられるのは決まって一織のほうだった。遊び相手の欲しい女の子、テレビ局の街頭取材、モデルのスカウト。そのたびに一織は動揺し、口ごもり、兄を気にしながら、興味がないと断った。そうすると弟の愛想のなさを三月が取りなして、朗らかに相手をする。そのたびに一織は願うのだ。ほら、ここに私などよりよっぽど魅力的な人がいるじゃないですか、気づいて、……どうか気づいて。
 けれど彼らは去って行く。一織に名残惜しげな一瞥をくれ、三月を顧みることなく。
 そんな繰り返しの中で、三月が自分のせいで傷つくのだと知らずにいられるはずがない。それでも兄は、おまえのせいじゃないよと朗らかに笑い、一織の能力の高さを誇ってくれた。自慢の弟なんだと、何度言われたかわからない。
 愛する兄を支え、兄の願いを叶えるために尽力することが一織の夢になった。アイドル業界を分析し、戦略を練った。歌やダンスの上達方法を知るためにと、こっそりと練習を重ねもした。
 そんな一織の熱意は、三月の拒絶の言葉によって行き場を失った。当たり前だと、いまの一織はわかる。三月を売り込みたいあまり、三月自身の魅力を一番知っている筈の自分が、その魅力をないがしろにしてしまったのだ。
 ――オレと違って、一織はなんでも出来んだからさ! その頭、自分のために使ってくれよ!
 ――頼むからオレのことは放っておいてくれ!
 三月の言葉は、一織の胸に突き刺さった。
 だって、自分のために、……自分の夢のために、一織は頭を使ったのだ。なんでも出来ると称えられる優秀さを、兄の夢を叶えるために捧げたかった。それを拒絶されて、どこへ行けばいいのだろう。
 悲しかった。苦しかった。ひどいと泣いてしまいたかった。でも、できるわけがない。だって一織が先に、兄を傷つけたのだ。ずっとずっと傷つけて苦しめてきた。一織のようなイミテーションが弟であるばかりに。
 謝って、物わかりのいい弟の顔をして、離れた場所から応援する以外に選択肢などない。
 一つだけ心に誓った。兄の真似だけは決してしない。あの明るい笑顔を、目が離せない豊かな表情を、男らしく度量の大きな態度を、どんなに憧れようとも、模倣はしない。
 もしも――もしも真似をして、うまくできてしまったら、兄のレプリカの一織が、兄よりも愛されてしまったら。
 そんな罪に耐えられるものか。
 冷徹な優等生の一織を人は褒めこそすれ愛しはしない。それで良かった。それが良かった。他人に愛されることなど望みはしない。

 ――望まなかった。兄のために、自分のために、それで良かった。そのはずだったのに。
「なに? なんかオレしちゃった?」
 七瀬陸が、どこか怯えたような顔をして一織の表情を伺ったとき、人生三度目の絶望を一織はした。これが一織の歩んできた道の結果だ。愛される努力を切り捨ててきた。好意を伝える方法を知らずに来た。
 あなたは素晴らしい人だと、あの奇跡のような歌を聞かせて欲しいと、陸に伝える[[rb:術 > すべ]]がわからない。愛さないために、愛されないために、築いてきた高い壁を今更どうやって壊せばいいのか、もうわからなくなってしまった。
 宝石を見つけたのに。きらめく星を。
 いまはまだ夏の夜の蛍のような儚さだけれど、いつか七色のまばゆい光を放って、あまねく世を照らす太陽にだってなれる人なのに。
「……いえ……」
 唇を噛んで、首を横に振る。
「すみません、なんでもありません」
「なんだよ、変なヤツ!」
 唇を尖らせて、陸は一織から離れた。ナギや三月にじゃれつきながら、帰り支度をしている。社長と万理、紡らは先に事務室に戻っていた。ライブの処理があるのだろう。
 近所迷惑にならない程度に声を抑えつつ、帰り道もライブの話題で持ちきりだった。あれが良かった、あそこはこうしたい、次はもっと客に来てもらえるように、……
 最後尾を歩いていた一織は、そっと足を止めた。くるりと踵を返し、足音を立てないように元来た道を引き返す。
 認めよう、と思った。
 自分だけではなにも出来ない。アイドルとしての自分はなんでもそつなくこなして見目もいいがそれだけの、掃いて捨てるほどいるアイドルの一人で、三月や仲間たちを輝かしい舞台まで連れて行く力はない。それを持っているのは陸で、自分は陸の背を押し鼓舞する言葉を発するどころか、彼を萎縮させることしか出来ない。
 でも、彼女なら。
 若く未熟で、宣伝戦略のひとつもなく、空回ってばかりの、けれど自分たちを輝かせることにかけては天下一品の彼女と、手を取り合うことができれば。
 今度こそ一織は、夢を叶えることが出来るかもしれない。
 いや、出来るはずだ。だって、本物なのだから。七瀬陸も、小鳥遊紡も。
 年下の自分の冷ややかな言葉に、紡は眉をひそめなかった。戸惑いこそすれ、一織を拒みはせず、それどころか、頑張ってください、素敵です、素晴らしいですと、称える言葉ばかりをくれた。自ら街頭に立ってチラシを配ってもろくに人を集められなかったアイドルに失望するどころか、力のなさを懸命に謝り、自分たちを鼓舞し、パフォーマンスに全力の賞賛をくれた。百人の観客よりも大きな熱意を、惜しみなく注いでくれた。
 大丈夫だ、彼女なら。
 不思議なほど不安はなかった。これからする申し出は、和泉一織の正体を自ら暴くことに他ならない。頭でっかちの、借りものの寄せ集め。見た目がいいだけのイミテーション。和泉一織がそういう人間だと、彼女に知られてしまうことが、怖くないと言ったら嘘になる。
 ……でも、大丈夫。
 彼女ならきっと、にせものの宝石にだってほほえんで、愛してくれるだろう。
 ひとつ深呼吸をして、一織は扉をそっと開いた。
「失礼します」
 ――あなたと、夢を見ていきたい。