I believe

 ミーティングが終わっても、一織はソファから腰を上げないままだった。ゴシップ記事の載った雑誌を手に取っては、見出しを眺め、IDOLiSH7を扱った記事を読み込んでいく。時折スマートフォンを操作しているのは、記事の反響を確認しているのだろう。
 人一人分には少し足りないスペースをあけて、陸はその隣にぽすりと腰を下ろした。一冊の雑誌を引き寄せ、表紙に踊る見出しを眺めて、重いため息をつく。
「……生年月日が一緒」
 淡々とした声が横から聞こえた。
「名前が『天』と『陸』。背格好もよく似ていますね、あなたのほうが若干華奢ですが。七瀬さんはTRIGGERの九条天を意識した発言も多いですし。なによりその歌い方」
「一織……」
 雑誌をめくる手は止めないまま、独り言のような声音で、一織は天と陸の類似点を挙げていく。
「あなた方の関係を勘ぐる人が出るのもおかしくはない、ということです。ですが、逆に言えばその程度だ。デビュー前からTRIGGERの九条天に憧れ、目標としていましたと、そう言えば通る程度のネタです。九条天がデビュー直前まで海外にいたことは、業界関係者なら知っている話ですしね。一方あなたは、都内の高校を卒業している。ほら、いたじゃないですか、あなたの”ご学友”」
「あ……あはは、いたね」
 懐かしい話題を持ち出されて、陸は乾いた笑い声をあげた。IDOLiSH7の名が知られ始めた頃、陸の卒業した高校や壮五の中退した大学、一織や環が以前に通っていた高校で「ともに机を並べた」という「学友」たちが、芸能ニュースの片隅に登場したことがあった。名前も知らない「友人」が増えて、覚えのない「友情」が語られた。現在誌面を賑わせている悪意に満ちた記事に比べれば、ごくささやかな、微笑ましくすらあるエピソードばかりだ。
「戸籍上の氏名すら、今は違うんでしょう。あの九条さんがメディアに対してボロを出すことはありえませんし、あなたのご両親だって、息子達の妨げになることを話すはずはない。……お店の常連客を探して聞き込むことは可能でしょうが、あなたがたの血縁ゴシップなんて、そこまでの価値のあるニュースではありません」
「え、なんかひどくない?」
 相変わらずのずけずけとした口調で並べ立てられて、陸は思わず口を尖らせた。今度は一織が、長いため息を吐き出す。
「……あなたね。人がせっかく、」
「あっ、ごめん! わかってるよ、一織はオレが心配しないように言ってくれてるんだよな」
「……まあ、そうです。というか」
 閉じた雑誌を脇に押しやり、二冊目を手に取りながら、ようやく一織は陸に目を向けた。
「一番ボロを出しそうなのはあなた自身ですよ、七瀬さん。九条さんの心配をするより、自分の言動を見直してください」
「失礼だなあ! 天にぃに迷惑がかかること、オレが言ったりしないよ!」
「どうだか。九条さんに話しかけるとき、ほぼ毎回『天にぃ』と言いかけてるじゃないですか」
「そっ……」
 そんなことない! と反射的に反論しかけて、陸は口をつぐんだ。心当たりがないと言えるほど厚顔無恥でも、さすがにない。
「…………気をつけます…………」
「七瀬さんにしては殊勝ですね。大人になったじゃないですか。偉い偉い」
「むっかつく……!!」
 相変わらずの憎まれ口に、陸は喉の奥で唸ると身体を左右に揺らして、一織に肩をどんとぶつけた。ちょっと、痛いんですけど!? と抗議しながら、一織が肩をぶつけ返してくる。けっこう痛かったが、あははっ、と陸は声を上げて笑った。一織が同じやり方で反撃してくるとは思わなかった。一織は口達者なタイプで、身体を使ったリアクションは兄の三月がよくやるものだ。
 三月と一織は、それこそ典型的な『似ていない兄弟』だ。もし本人たちが隠して活動していたなら、記事にもならないだろう。
「……いいなあ。三月と一織は、兄弟ってちゃんと公表して、同じグループで活動できてさ」
「このタイミングで言いますか!? 心底デリカシーのない人ですね!!」
 ポロリと口からこぼれ出た、陸にとってはもはや口癖に近い羨望の言葉に、一織が唐突に激高した。バシン! と大きな音を立てて、開いていた雑誌を閉じる。用済みのそれを投げ捨てるように遠ざけ、また次の雑誌を手に取った、その指先がかすかに震えていた。
「あっ…………」
 失言に気づいた陸は小さく声を上げた。
 一織が放り出した雑誌に載っていたのは確か、一織と三月に関する噂だ。
 一織をどうしても欲しがった事務所が、兄の三月も面倒を見るからと口説いてきた。三月は自分のおまけでアイドルになれたに過ぎず、人気だって自分より下なのに、最近はいちいち兄貴風を吹かせてきて煩わしい――。『とある番組の打ち上げで、和泉一織がそう語ったと、業界関係者が証言した』などという、まるで信憑性のない三流ゴシップの切り口で、けれど厄介なのは、そこにひとかけらの真実が含まれていたことだ。
 陸の知る限り、一織が兄の三月を軽んじたことはない。兄の可愛らしさを愛でて怒られることこそ多々あるものの、むしろ崇拝に近いような感情を向けているのは、陸だけではなく小鳥遊事務所の面々にとって周知のことだ。
 だが三月がアイドルオーディションを受けた経緯に、先にスカウトされた一織の意向が反映されていたこともまた、紛れもない事実だった。兄の心情を慮った一織が音晴や万理に口止めし、両親の店を手伝う兄弟の姿を見かけてスカウトしたという体裁にしていたことまで、今回の騒ぎの余波で、三月の知るところとなってしまったのだ。
 三月自身に資質がなければ受け入れなかったと音晴も万理も断言したし、三月がIDOLiSH7に欠くべからざる人材であることはメンバーの全員が知っている。それでも、三月自身が抱える劣等感ばかりはどうしようもない。
 男性として不足のない背丈、文句なく整った容姿、ダンスと歌の高い技量、どんなこともそつなくこなす要領の良さ、ふと垣間見せる清潔な色気。三月が羨み、欲しがる、ほとんど全ての要素を一織が持っていることもまた、否定しようがない事実だからだ。
 三月が弟を避け、あるいは些細なことで一織に向かって声を荒げる姿を、この数日間で陸も何度も目にしてきた。兄さん、と呼びかける一織の悲しげな声の響きも、背を向けたままそれを聞く三月の強ばった表情も、胸の痛むものだった。
 ペラリ、と雑誌のページをめくりながら、一織が小さな声で言う。
「私だって、兄さんと同じグループにいられて、同じものを目指すことができて嬉しいです。当たり前じゃないですか。でも、兄さんはそうじゃない。――私が弟じゃなくて、ただの仲間なら、兄さんに嫌な思いをさせることはなかったんでしょう」
「ごめん……! ごめんな一織、オレが無神経だった。一織にそんなこと言わせたかったわけじゃないんだ!」
 陸はおたおたと一織の肩を揺らして謝罪する。
「三月は一織のこと大好きだよ!」
「あなたに言われずとも知ってます」
「いお、」
「そんなことは世界で一番私がよく知っているんです。兄さんは優しい人だ、だから、……だから余計に、兄さんを苦しめるんじゃないですか……」
「……うん」
「あなただってそうでしょう。九条さんに置いていかれて。彼を憎めたら、もっと楽だったはずです」
「うん。…………うん、そうだよな……オレ、めちゃくちゃ怒ってめちゃくちゃ傷ついてたときも、たぶん天にぃのこと、本気で憎めたことなんてないや。はは、一織の言うとおり」
「……………………」
 大きく肩を上下させて、一織が息を吐き出した。いつもぴんと伸びている背筋がわずかに丸い。
「はぁ。もういいですよ、さっきの失言は許して差し上げます。いまさらあなたの無神経に腹を立てても仕方ありませんから」
「一言多いよ。でも、ごめん」
「わかりましたから。まあ、でも、メディアへの発言は本当に気をつけて。ミューフェスのことも悪気なく言ったんでしょうけど、発言を切り取られてイメージが下がるのはあなたなんですから」
「ん? ミューフェス?」
 陸は首を傾げる。
 ミュージックフェスタは苦い記憶だ。大きなチャンスで成功して知名度を上げれば、最初から七人でデビューも可能だった。全員が張り切って挑んで、――そして砕けた。
「ネットニュースにありましたよ。”ミューフェスの失敗は一織のせい、あいつは肝心な時に決められない”でしたっけ。別にいいですけどね、私が失敗したのは事実ですし」
「えっ!? ちょっと待って、オレそんなこと言ってないよ!?」
「は?」
「言ってない言ってない! 一織のせいだなんて全然思ってないし! 絶対言ってな…………、あああ~~~~~~あれかあ~~~~~~~~」
「なんですかいきなり頭を抱えて」
「………………一織が可愛かったって、話、なら、したかも……………………」
「はぁ!?」
「な、……泣いちゃったじゃん、一織…………。いっつも生意気で口うるさくてむかつくけど、そういう可愛いとこもあるんだよなー、みたいな、話を……? した、かも……?」
「あなたねええ!!」
 頬を真っ赤に染めた一織がくわっと吠える。今日一番の怒号だった。
「かっ……かわっ…………泣い……ああもう! 悪意で切り取ったゴシップのほうがマシってどういう…………!!」
 ワナワナとこぶしを震わせる。ひええ、と陸は先ほどとは違う意味で頭を抱えた。このままではもしかしたら本邦初公開・和泉一織くんの渾身の右ストレートをお見舞いされてしまうかもしれない。三月と違って喧嘩の経験はないというが、スポーツ万能のスーパー高校生のパンチはさぞかし痛いだろう。
「いっ、一織だってオレの悪口言ってたじゃん! ひ弱でセンターなんか任せられないって! 知ってるんだからな!」
「……………………は?」
 頭を庇いながら咄嗟に口をついた反撃に、一織が返してきたのは、打って変わって氷点下をも通り越して絶対零度に冷えきった声音だった。変わり身が早すぎる。
「……どうしてそんな根も葉もない出任せを信じるんですかあなたは。馬鹿じゃないんですか。馬鹿なんですね」
「ばっ、馬鹿馬鹿言うなよ……」
「言いますよ事実馬鹿なんですから。IDOLiSH7にあなた以上にセンターにふさわしい人がいるのなら、その人が歌えばいい。ストレスに弱い、体調に爆弾を抱えたあなたにセンターで歌わせる理由はありません。お手々繋いでみんな仲良しのお遊戯会じゃないんですから」
「で、でもさ! 事務所やマネージャーがオレにセンター任せてくれてるから、一織は不満でも渋々受け入れてるだけかもしんないじゃん! いっつもオレにガミガミ言うし!」
 食い下がる陸を、一織は鼻で笑った。口ぶりも態度も冷ややかで、けれど陸を見つめる眼差しだけがひどく熱っぽい。
「あり得ない妄想も大概にしてくれませんか。そもそも、あなたのセンターは私が――」
「一織が?」
「……いえ、なんでも。よく考えてくださいよ七瀬さん。あなたのセンターに不満があっても、事務所の意向であれば従う。私がそんな殊勝な人間だと思いますか?」
「思わない!」
「即答されるのもそれはそれで腹立たしいですね……。いいですか七瀬さん。あなたが、私たちの、IDOLiSH7の、唯一無二のセンターです。あなたのボーカルこそが、私たちの最大の武器だ。代わりはいません。自覚して」
「…………はい」
「よろしい」
 思わず居住まいを正し、神妙に頷いた陸をまっすぐに見つめて、ふっと一織が微笑んだ。なにその言い草、いつも上から目線で生意気なヤツ――そんな文句が、口の中で溶けて消える。
 だってそんな顔をされたら、ぜんぶ信じてしまうじゃないか。
 怒りだとか、悲しみだとか、苛立ちだとか、いろんなモヤモヤが胸の中でしぼんでいくのを感じた。消えてなくなるほど、刺さった棘は小さくない。でも、知らない誰かの書いた記事より、目の前の一織のほうが陸には大事で、大切だ。
 きっと、こうやって話せばいいんだ、みんなも。
 それだけのことなのに、いまはたぶん、それだけがとても難しい。
 なんだか照れくさくなってきて、あはは、と陸は笑い声を立てた。
「あー、ホントむかつくよなゴシップ記事! 嘘ばっかり書いてさ!」
「……そうですね、困ったものです。特にうちのグループは皆さん単純……失礼、素直な方ばかりですから」
 雰囲気を変えてしまおうという陸の作戦に、一織も乗ってくれる気になったらしい。肩を竦めて相槌を打ちながら読みかけの雑誌を閉じ、まだ読んでいないものと重ねてトントンと揃える。
「こうも多いとさすがに誰かの悪意を感じますが……、さっきも言いましたけど、我々は芸能人ですから。あれこれ書き立てられて一人前とでも思いましょう。あまり真に受けないで」
「……それ、どうするの?」
「どんな記事を出されているのか、一通り目を通しておきます。なにを言われても無視しろと言って、聞いて下さる皆さんじゃありませんからね」
 事もなげに言いながら、悪意に満ちた雑誌の束を手近な紙袋に入れている一織の顔は、もうすっかりいつも通りのパーフェクト高校生の顔だ。環と並んでグループ最年少だというのに、ミーティングでも冷静なコメントばかりで、今もこうしてさりげなく皆を守ろうとしている。
 傷ついているくせに。
 三月の苛立ちに、皆のギスギスしたやりとりに、陸の無神経に、歪めて切り取られた陸の発言に、陸が彼を信じなかったことに、傷ついているくせに。本当は泣き虫で、繊細な、たった十七のこどもなのに。
「じゃあ、お先に」
「あっ、待って待って! オレも一緒に帰る」
「はあ。お好きにどうぞ」
「うん!」
 上着を着込み、眼鏡とマスクと帽子を着けて、並んで外に出る。風の冷たさに首を竦めると、呆れたような眼差しとマフラーが同時に飛んできた。
「あ、ありがと」
「自覚してと言った端からあなたは……。ちゃんと体調管理してくださいよ」
「うん、ごめん」
 交わした言葉はそれだけで、寮までの道を無言のまま二人で歩く。陸にマフラーを貸してしまった襟元が寒いだろうに、一織は肩を丸めもせず、首筋までしゃんと伸ばしたままだった。
「ただいま帰りました」
「ただいまぁ」
 暖かな寮内の空気に、ほっと息をつきながらマフラーを外す。おかえり、の声はなかった。全員が留守ということはないはずだ。皆、自室に籠もっているのだろう。
 つい先日までは、たいてい誰かしらがリビングでくつろいでいたものだったのに。
 室温は充分なのに、冷たい外気が入ってきてしまったかのように、寮の雰囲気がひんやりと冷えている。
「ありがと、一織。マフラー……」
「どういたしまして」
 マフラーを受け取った一織が先に立って階段を上がっていくのを、陸はぼんやりと見送った。マフラーは巻き直されず、寒々しい首筋はそのままだ。もう室内にいるのだから、当たり前なのだけれど。
 一織が寒そうなのはいやだなと、そんなことをふと思った。マフラーを借りて、あの首筋を寒そうな姿にしてしまったのは自分だけれど。
 でも、いやだな。
 一織が寒くないといいな。
 そんなことを考えながら、陸も階段に足をかける。
 深呼吸をひとつ。どこか寒々しさは拭えない、けれども清潔な寮内は適度な湿度に保たれ、藍色のマフラーが温めていてくれた喉からは、咳ひとつでなかった。
 優しい人たちばかりだと知っている。
 一織。オレ、歌うよ。ちゃんと歌う。
 胸の中で、陸は誓いを立てる。食べて、眠って、調子を整えて、自分のできる精一杯を歌おう。流れ星を降らせるように。空に虹を架けるように。
 自分にできることなんてそれひとつで、だけどいつだってきっと、それが一番大事なんだ。