ノースメイアから全員で帰国して、一週間ばかり過ぎたある夜のことだ。
「イオリ。こちらのディスク、ありがとうございました」
一織の部屋を尋ねたナギは、そう言いながら一枚のＤＶＤを差し出した。透明なケースに入れられた、真っ白な盤面に曲名がマジックで書き込まれているだけのそれは、ノースメイアの吹雪の中、再会したナギに一織が手渡したものだ。
「それは六弥さん用のものなので、私に返していただく必要はありませんよ」
「承知しています。今夜はイオリにお礼を伝えに来たのですよ。部屋に入れていただいても？」
「はぁ……。ええと、どうぞ」
戸惑いながらも一織は身体を引いて、ナギを室内に通した。さほど来客の多くない一織の部屋も、寮生活を続けるうちに人を迎えるスペースがなんとなくできあがっている。長い足を折りたたんでラグの上に腰を下ろすナギに続き、一織も床に座った。ナギはローテーブルの上にディスクケースをそっと乗せ、ふわりと微笑む。
「本当に助かりました。イオリがあの日にこれを下さらなければ、ワタシはＭＶ撮影や生中継で、パニックに陥るだけでなにもできなかったに違いありません」
「いえ……、六弥さんこそ、当日までにきちんと歌や振り付けを覚えて下さっていて、助かりました。さすがだと思いました」
「さすが、はイオリへ向けるべき賞賛ですよ。ワタシたちは皆あの瞬間、エモーショナルな感情に支配されていました。イオリの的確な行動がワタシたち皆を救ったのです」
「――それが、私の役割ですから」
照れくさそうに俯いていた一織が、ふとまなざしを遠くに向けた。
「ノースメイアに行くと決まってから、あなたに会えたらまずなにを伝えるか、どう行動するか、ずっと考えていました。
私たちは、あなたを取り返しにノースメイアに行くと決めた。そのための滞在期間を確保するため、ＭＶと愛なnightの撮影をノースメイアでできるよう、マネージャーをはじめとする皆さんが奔走して下さいました。ですから私たちは、それを絶対に成功させなくてはいけない。六弥さんを取り返しても、六弥さんが戻るべきIDOLiSH7を損なっていては意味がない。――ですが、うちのメンバーはマネージャーも含めて感動屋さんが多いですから。六弥さんにもし再会できたなら、感極まってしまうでしょうし、戻ってきて欲しいと懇願するでしょう。もちろん、それが成功するなら一番いい。ですが、その場で説得が叶わなかったとき……、」
一織は一度言葉を切ると、わずかに沈黙した。きゅっと唇を結び、まばたきをひとつしてから、何事もなかったようにまた口を開く。
「……最大限の可能性を残しておくべきだ、と思ったんです。拒絶されたとしても、可能な限りの情報を伝えて、六弥さんの心変わりを待つ。その時点で六弥さんを取り戻せなくても、希望をつないでおくことができる」
「イオリ、」
「はい」
「なぜそのような、悲しい顔を？」
「…………」
ゆるゆると視線をナギに合わせ、一織は自嘲するような笑みを唇に乗せた。
「あのとき、私だけがあなたを信じ切れなかった。戻れないとあなたに言われることを想定して行動していました。間違っていたとは思いません。私のできる最善だったと信じています。けれど、おそらく私ひとりでは、到底あなたを説得することはできなかった」
「Oh! そんなことはありません」
両眉をぴんと跳ね上げて、ナギはきっぱりと否定する。ややコミカルな仕草に、一織が咎めるようにナギの名を呼んだ。
「六弥さん」
「ちっともそんなことはありません、イオリ。このディスクをくださったあとの、アナタのアツい言葉を忘れることなどできませんよ」
「あれは……」
「とても嬉しかったですよ。かつてワタシがアナタにお伝えした言葉を、アナタがワタシに伝えてくださった。それだけ、大事にしていてくださったのでしょう？」
「…………」
「イオリ、あなたは素晴らしい人です。冷静さも、情熱も、どちらもその胸に抱いている。ワタシたちはみな、もうそのことを知っていて、そんなあなたを愛しています。恥ずかしがる必要はありません」
「そういう表現がもう恥ずかしいんですけど……」
ナギの言葉の途中から、一織は口元を覆ってしまった。耳は赤く染まり、額にはうっすらと汗が浮いている。自信に満ちた言動をするくせ、一織は真っ直ぐな褒め言葉にひどく弱かった。
ナギは優雅に微笑んで、居住まいを正す。相対していたのが他のメンバーであれば、彼は真っ先にハグで親愛を伝えただろう。
一織に対しては、それはあまり得策ではない。少しばかりもどかしいけれど、この距離感もまた、ナギにとっては愛おしいものだった。
「イオリはいつまで経ってもシャイですね。そういうところもキュートですが。――それに、イオリ。もしアナタ一人では足りないことがあったとしても、なにを嘆くことがありますか？ ワタシたちは七人でIDOLiSH7です。完璧な七人ではなく、七人で完璧になれるIDOLiSH7。それがワタシたちではないですか。
改めて感謝を。イオリ、IDOLiSH7を、ワタシの帰るべき場所を守ってくださってありがとうございます。ワタシも誓いましょう。どのような火の粉がワタシたちに降りかかろうとも、いえ、たとえ業火に灼かれようとも、あなたとともに、ワタシも戦います。もう二度と失いたくはありません」
「――――」
きっぱりと言い切ると、ナギは長い指を揃えてそっと心臓の上に置いた。誓いの仕草は、俯いたままの一織の視界にも、しっかり入っていただろう。
ふ、と、一織の唇が、ひかえめな笑みを形作った。
「さすがは小鳥遊事務所広報マネージャーですね。あなたが味方でいて下さるのは、この上なく心強い」
「光栄です、イオリ」
「私も――、」
ナギを真似るように、ややぎこちなく、一織が左胸に手を置いた。
「何が起ころうとも、守ってみせます。私がいる限り、IDOLiSH7を終わらせない」
「excellent!」
はしゃいだ声を上げながら、ナギは右手を差しだした。
「ワタシたちは戦友です、イオリ。握手をしていただいても？」
「……はい」
まだ少年の名残のあるすんなりとした手を、ナギは包み込む。ぎゅっと込めた力に、慌てたように合わせてくる仕草は、ナギにはやはり可愛らしく感じられるものだ。
「今夜、アナタと話せて良かった、イオリ」
「……私もです」
はにかむ一織は、気づいているのだろうか。
おそらく一織がナギにうっすらと抱いている劣等感とよく似たものを、ナギもまた彼に対してひそやかに抱いている。回りくどく見えても、一織の本質はどこまでもまっすぐで、その情熱は大事なものに一途に向けられたままだ。ナギが疲れ果てて、一度手放してしまった愛を、尽きることなく捧げ続ける一織の姿は、ナギには少し眩しい。
そんな話も、きっと、いつかできるだろう。
