大神万理の祈り

 事務所のソファに行儀良く座って、若者たちは万理の話を聞いている。
 環と一織はまだ十七、陸だって十八で、万理と千が二人で音楽活動を始めた年頃と変わらない。そう思うと、なんだかやるせない気がした。当時の千の素行ときたら、この場ではとても口に出せないような代物だったし、それに比べればかなりマシなものとはいえ、万理だって優等生だったとは口が裂けても言えやしない。ライブハウスに出入りするような高校生は、悪い大人の世界に片足を突っ込んでしまうものだ。痛い目もそれなりに見たし、記憶の箱に封印しておきたい体験もあるけれど、総じて刺激的で、楽しい日々ではあった。
 周囲の同世代よりは目まぐるしく充実した暮らしだと、当時の自分は感じていた気がする。それも間違いではないとは思う。だが、昨年の春に出会い、夏にデビューした七人の若者達が否応なく放り込まれた激流を思えば、万理の十代の、なんと穏やかなことだろうか。
 緩やかに、少しずつ漕ぎ出した大海で、万理の舟は唐突に転覆し、とぷんと沈んでしまった。音楽家としての万理の物語は、それでジ・エンドだ。IDOLiSH7という七人乗りの――いや、紡を入れて八人乗りの舟は、豪雨の中で急流を下るように、怖ろしい勢いで進んでいる。振り落とされまいと必死に日々を切り抜ける彼らには、万理や干が過ごしたような足踏みの日々すら、もはや許されてはいないのだ。
 最年長の大和は、一織と環の高校生活を、ことのほか愛でているという。その気持ちは万理にもよくわかる。馬鹿なことをやっては笑い合い、ちっぽけでくだらないことを、世界を最も重大な議題であるかのような大騒ぎで取り扱う。それは若い時代の特権で、二度と取り戻すことのできない日々だ。
 こんなやるせなさすらも、きっと彼らにとってみれば、大人の一方的な押しつけなのだろうけれど。

 嵐の大海原に漕ぎ出したIDOLiSH7の舟を、止めることは万理にはできない。緩やかな微睡みように流れる大河に引き入れてやることも。
 ただ祈るだけだ。
 彼らの旅路が、死に物狂いの航海の日々が、どんな結末を迎えようとも。あれは幸せで大切な青春時代だったと、笑顔で振り返る日が来るといい。