かわいいあなた

 兄が小学校に入学した頃、私はようやく二歳になったばかりで、当時のことはおぼろげな記憶しかない。ただ、見慣れない服装をして、ニコニコとご機嫌な兄が、いつもにも増して周囲からかわいい、かわいいと褒めそやされていた、という印象が、ボンヤリとあった。
 記憶の補完をしてくれるのはたくさんの写真やホームビデオだ。我が家の家業はケーキ屋で、節目の時期はすなわち繁忙期だ。二親揃って子供の行事に参加することは難しく、その代わりに両親は写真と映像でまめに記録を残してくれた。誕生日や年末年始、親戚の来訪時など、折々の機会にそれらを紐解いて、思い出話に花を咲かせるのだ。
 だから私は兄が入学式で着た子供用のスーツのデザインも、ランドセルが大きすぎて背負われているようだったことも、親戚一同のみならず道行く人々にまで可愛らしさを褒めそやされたことも、まるで自分自身の記憶のようによく知っていた。

 月日が流れ、私が真新しいランドセルを背負う番が来た。この日をどんなに待ち焦がれていただろう。兄のお下がりの紺色のフォーマル服を身につけ、母と並んで小学校へと向かう私を、すれ違う人々はたしかに褒めそやしてくれた。
 なんて利発そう。
 賢そうな坊ちゃん。
 モデルみたい!
 可愛い、の声が、なかったわけではない。それでも、四年前の兄が受け取った言葉と、その日の私が受け取った言葉には、はっきりとした違いがあった。その日、「かわいい」を一番多く聞けたのは、珍しく襟のある服を着た兄が、私の手を引いてくれたときだった。
 つまり、そういうことだ。
 ないものねだりなど、するものじゃない。
 私の家には世界一可愛らしい兄がいて、私はただ一人の弟として、誰より近くで見つめていられる。
 それで充分だった。そのはずだった。私が欲をかいて、兄の心を踏みにじりさえしなければ、ずっと、それで、よかったはずなのだ。