最近、なにかありましたか。
困惑したような顔をして一織が訊いてきたのは、オレたちがノースメイアからナギを連れて帰って、半月ばかり経った頃だ。甘いホットミルクを手にした一織が俺を訪ねてくる、就寝前の短い時間。
「なに、って、なに? 最近、すっごくたくさんあったよな?」
「そうですけど。そうではなく……なんというか。七瀬さんの歌い方が、変わった気がして」
「えっ、ダメな感じ?」
お説教だろうか。なにかやっちゃったかな。思わず身を固くすると、一織は慌てたようにフルフルと首を振った。
「いえ、逆です。いい感じです。七瀬さんはもともと、ライブに比べてスタジオ収録は苦手だったでしょう? ですが最近は、私たちのファンの少ない番組の収録でも、ライブに近い歌い方ができていますよね。より感情が伝わってくる、七瀬さんの魅力に溢れた歌です」
……うわあ。
一織って、基本的に照れ屋で素直じゃないくせに、こういうセリフを真顔で言っちゃうの、反則だと思う。
「えへへ、ありがと! 嬉しいな」
「私にお礼を言われても。理由を知りたいと言っているんですけど」
「いいじゃん、オレが嬉しいんだから! 素直に受け取ってよ! で、理由だよね。うーん」
腕を組み、首を傾げて考え込む。確かにいわれてみると、スタジオ収録で歌うときに苦手だなと思うことが少なくなった気がする。
今日だって、我ながら声が出ていた。だって、……ああ、そっか。
「わかったかも!」
「なんですか」
「楽しいから!」
「楽しい?」
「うん」
頷いて、オレは手を広げる。
「みんなと一緒に歌えることが、すごくすごく楽しいんだ、いま」
「六弥さんが戻ってきたからですか」
「それもあるけど……そっか、一織に話してなかったね。オレ、ノースメイアのホテルで、桜さんとしばらく一緒に過ごしたんだ。そのときにした話が、ずっと頭に残ってて」
「どんな話をしたんですか?」
「ええとね」
ホットミルクを一口含みながら、あのときの桜さんの言葉を思い出す。
うまく説明できるだろうか。
「たくさん質問をされたよ。そうだ、一織も考えてみて」
「? はい」
「いまから一織の口座に……えっと、1、000億ドル振り込むよ。なにがしたい?」
「日本円換算で十兆円強ですか。莫大ですね……。そうだな」
生真面目な一織は、口元に手を当てて考え込んだ。しばらくして、うん、と頷く。
「放送局をひとつ買収します」
「んん?」
「地上波は厳しいでしょうが、CS局ならたぶんどうにか。アイドル番組の専門チャンネルにして、曲や企画ドラマ、バラエティなどを放送します。要は愛ドリッシュないとの拡大版ですね。出演はIDOLiSH7だけではとても埋まりませんし、若手のグループを中心に。オーディション番組もいいかもしれないな。それから、小鳥遊プロダクションを大きくしましょう。他社から有能な人材を引き抜いて、一等地にビルを建てましょうね。私たちが住むためのマンションも欲しいな。……お金、足りますかね……」
「な、なんか、すごいね?」
「お金があれば色々なことが叶いますから。……で、この質問がなにか」
「オレさ、一織みたいにすごいことは思いつかなくて。大きな家を建ててみんなで住んで、好きなものを食べて、パーティして旅行してって答えたんだ。あと小鳥遊事務所を大きなビルにして、マッサージチェアも買う!」
「いいですね」
「でね、次の質問。今度は名声がもらえる。一織は世界一の歌手で、世界中から賞を貰って、部屋にたっくさんトロフィーがある。一織を批難する人がいたら、有名な評論家がこぞって反論してくれる。一織のジョークでみんな笑うし、一織の落書きをみんなが欲しがるよ。ラビッターでなにか言ったら、一瞬で100万人がいいねを押してくれる」
「あり得ません」
キリッと眉をつり上げて、一織が言下に否定する。うーん、話してるあいだにどんどんどんどん変な顔になってくから予想してたけど、それだと話が続かないぞ。
「私がそんな歌手になるはずがないでしょう。なるとしたら七瀬さんです。あとジョークは言いませんし落書きもしません」
「一織のジョーク興味ある! ――じゃなくて、うーん。じゃあ、一織がじゃなくて、IDOLiSH7全員が、だったら想像できる?」
「そう……ですね。それならまあ……」
「じゃあそれでいこう! そうなったら、一織は世界に向けてなんて言う?」
「………………」
ぱちり、と、一織がオレに目を合わせてまばたきをした。
「言うこと、ですか」
「うん」
「――どうだ、と」
「『どうだ』?」
「ええ。どうだ、これがIDOLiSH7だ、これが七瀬陸だ――と、言います。きっと」
「あはは、一織のドヤ顔目に浮かぶ!」
「やかましいです」
「……一織のことは言わないの?」
「言いますよ。そのときにどんな仕事をしているかは知りませんが、思う存分宣伝します。楽でいいですね。ちょっと手応えがないようにも思いますが」
その言い種があんまり一織らしくて、オレは声を上げて笑う。一織も楽しげにほほえんだ。
笑いながら――オレは、なぜだろう。鼻がつんと痛かった。
「オレはね。IDOLiSH7の歌を聴いてください、って言ったよ。もちろん世界中が聴いてる、音楽の教科書に載ってるって。次に、オレたちのことをずっと好きでいて、って言った。そうしたら、全人類が好きだよって。……それで、何を言えばいいか、オレはもうわからなくなっちゃった」
ぽりぽりと指で頬を掻いて、苦笑する。七瀬さん、と一織が小さく名を呼んだ。
「困ってたら、桜さんが言ったんだ。財産とか名声は、あれば幸せだけど、それだけ追いかけて人生を使い切っちゃダメだって。オレ自身が、オレの幸せはなんなのか、どうしてそれがオレの幸せなのか、わかってなくちゃいけないよって」
「幸せは、なんなのか……」
「そう。そのあとで、最後の質問をされたんだ。――さっきまでと真逆。一文無しで、世界中の嫌われ者。住むところもなくて、みすぼらしい格好をしてる。なのに、やりたいことがあるんだ」
桜さんの言葉を思い出してなぞりながら、オレは鼓動が速くなるのを感じていた。どうして、おなじことを一織にも聞こうって思いついてしまったんだろう。さっきはいいアイディアだと思ったんだ。なのに、急に聞くのが怖くなった。
卑怯なオレはこれまでと少しだけ言い方を変えて、桜さんの言葉を口にする。
「『手を貸してくれる人は、いる?』」
「――――」
一織が、ひゅ、と息を飲んだ。きれいなグレーの瞳が、まっすぐオレをつかまえる。
なにかをこらえるように唇が引き結ばれて、眉がほんのわずか寄った。
あのノースメイアの、あたたかく清潔に整えられた病室を思い出す。桜さんに導かれるまま、もしもの想像をしたオレの脳裏に、最初に浮かんだのがこの目だった。
オレたちがIDOLiSH7になった日から、一織のこの目が、オレをずっと見ている。それが煩わしいと思ったことも、プレッシャーに感じたこともあった。見ていてくれていることに気づけなかったときも、いつ見放されてしまうのだろうと怯えたこともある。それでも、ずっと一織はそこにいて、オレを見てくれていた。
『この先、何があっても、星の数ほどの言葉があなたをめがけて、降り注いできたとしても』
フレンズデーの日に一織が言ったことと、桜さんの質問は、どこか似ている。
『私を信じてください』
あの日、わかった、って言ったのはオレだ。それを思い出して、身の竦むようなもしもの想像にだって耐えられるって信じた。
もちろん、一織だけじゃない。大和さんも、壮五さんも、三月も、環も、ナギもいる。絶対にいる。だからこそオレたちは、あの雪と氷の国に向かったんだ。
「います、って言ったよ。絶対に、手を貸してくれる人たちがいる。なんの得にもならないのに、そんな風になったオレのことも嫌わないで、そばに来て、助けてくれる人たちが、いますって。……そうだろ?」
「当然です」
それが誰のことかなんて、伝える必要はなかった。愚問だと言わんばかりに頷く一織に、オレも頷きを返す。
「その人たちに、なにを頼むか。それが桜さんの、最後の質問」
「……七瀬さんは、なにを頼むんですか」
「『一緒に歌って』」
一織の瞳を覗き込んで、オレはあのときと同じ言葉を口にする。
「『ファンのみんなの前で、オレと一緒に歌って』」
「七瀬さん、」
「歌ってくれるだろ?」
「歌いますよ。あなたが願うまでもない。あなたがいる場所なら、あなたの歌声があるのなら、そこが私たちのステージだ」
「うん。一織はそう言ってくれるって、オレは知ってる。みんなだってそうだよ。大和さんはやれやれって顔して、三月はニコニコしながら跳び跳ねて、ナギはとびっきりのウィンクくれて、壮五さんは優しく笑って、環は『りっくん任せとけ』って言ってさ。――すごいねって、桜さんは言ってくれた。すべてを失った時に助けてくれる人がいて、すべてを失ったとしてもやりたいことがある。それを幸せと呼ばずに、なにを幸せと呼ぶんだい、って。そうだなって思ったよ。本当にそうだなって。
ずっと、ひとりぼっちの病室で、ただ生きるために生きてたちっちゃいオレは、天にぃ行かないでって泣いてたオレは、もういない。何があっても最後までオレのそばにいて、一緒に歌ってくれる仲間を、オレは見つけたよ。そう思うとさ、このへんがすごくあったかくて」
胸元を手で押さえる。このポンコツな身体が、オレはずっと嫌いだった。でも、この身体から生まれる歌を愛してくれる人たちがいる。
「どこで歌ってても、みんなと一緒だって思ったら、幸せな気持ちがわいてくるんだ。きっと、だからだよ」
いまさらのようになんだか照れくさくなって、オレはへへっと笑う。一織もつられたように表情を和らげた。
「これがオレの答え! 納得した?」
「はい。七瀬さんにしては、とてもわかりやすい説明でしたね」
「またそんなこと言う~!」
ほっぺをつねろうとした指をすいっと避けて(ナマイキ!)、ところで、と一織が語調を変える。
「最後の質問だけ、私に聞きませんでしたね」
「…………う、うん……」
ドキリとしながら、視線を泳がせる。桜さんの話をしながらオレが急に怖くなったのも、しっかりバレていたらしい。苦笑する気配があって、少しホッとした。怒ってはいないみたいだ。
「一文無しで、世界中の嫌われ者。住む場所もなくみすぼらしい服を着て、でもやりたいことがある……ですか。そうだな。正直、兄さんも七瀬さんも成功しているのなら私の境遇は大きな問題ではありませんね。そもそもなぜそんな事態に陥っているかはわかりませんが、この私がそのままでいる筈がない。嫌われ者は今更ですし、お金や住居などどうにでもします。……と、少し前の私なら答えたでしょうけど」
「一織、」
「でもあなた、来ちゃうでしょう。あなたも、みなさんも、私がいらないと言っても、一緒でなければだめだと手を差し伸べに来る。私たち、そうやってノースメイアの王宮にだって乗り込んだじゃないですか」
ぱちんって、頬を軽く弾かれたみたいな気持ちだった。オレは顔を上げて、一織と目を合わせた。照れくさそうに笑って、一織は続ける。
「だから、私の願いはこうです。――『歌って』」
「一織」
「『歌って、七瀬さん』」
低く、囁くような声で、一織が言った。
「流れ星を降らせて。空に虹をかけて。あなたの願いを世界中に響かせて。世界中の嫌われ者? 上等です。なぜならそれは、誰よりあなたの近くでその歌を聴く私への嫉妬だ」
オレはぱちぱちと瞬きをしながら、一織の言葉を胸の中で繰り返す。
なんか、すっごいこと言われてしまった……。
ポワポワと頬に熱が集まる。たぶんいま、顔がすごく赤い。
さっきとは逆に、一織がオレの顔を覗き込むように首を傾げた。ちょっと芝居がかった仕草で、眉を上げる。
「相変わらずごまかすのが下手ですね。私が、『手を貸してくれる人などいません』とか言うんじゃないかと思いました?」
「う、……ごめん……。信頼してないとかじゃないんだ、ただ、一織っていつも人のことばっかりで、自分は後回しにしちゃうからさ。酷い目に遭ってるのが自分だけなら、オレたちを巻き込みたくない、むしろオレたちを一織に巻き込まないのが『やりたいこと』だ、みたいに言うかなって思っちゃったんだ」
今度は一織が瞬きして、口元に手をやった。
「言われてみれば、思いもしませんでした」
「そうなんだ?」
「はい。…………ちょっと。なにニヤニヤしてるんですか」
「だって嬉しくてさ! そっか、一織ってけっこうオレたちに甘えてくれてるんだ!」
「そこは信頼していると言ってください!」
照れが混じって高くかすれた一織の声は、怒っていても迫力が全然なくて、オレはさらに声を上げて笑う。七瀬さん! と一織はむくれてそっぽを向いて、それでも離れていこうとはしない。
「ねえ、一織」
「なんですか」
「一織が歌えって言ってくれたら、オレは歌うよ。絶対歌う。でもそれは、オレにしてほしいことだろ。一織自身のやりたいことは?」
「……わかりませんか?」
「わかってるかも。でも、一織の言葉で教えて」
はぁ、とわざとらしい息をついて、一織が流し目をよこした。わ、アイドルの顔してる。
「誰より近くで、と言ったでしょう。IDOLiSH7の七瀬陸が歌うときに、私が隣にいないとでも?」
「えっ、あっ、そっか! あれっ、てことは一織のしたいこと、オレと同じ?」
「……ええ、まあ、それでいいです。ご理解いただけましたか?」
「したした! えへへ、すっごい嬉しい! だって、オレたちって一緒にいたら最強ってことだろ!」
「なにを今更」
照れるかと思えば、一織はふふんとドヤ顔を決めた。
「七瀬さんの歌声は世界一で、IDOLiSH7は世界最強のアイドルです。ずっとそう言っているじゃないですか」
「一織のその自信も世界一だよね……」
「問題でも?」
「ないでーす」
「よろしい。さて、そろそろ寝ましょうか。明日も朝から仕事ですよ」
「うん」
カップに半分残ったホットミルクはだいぶ冷めていて、今日はミルクを飲む暇もないくらいたくさん話をしたなぁと思う。くいっと飲み干したら、カップを奪われた。ミルクのお礼に洗うのはやるって何度も言ってるんだけど、お気に入りのカップだからって絶対やらせてもらえない。
「歯を磨くのを忘れないで」
「毎回毎回言われなくてもわかってるよ」
「はいはい」
一織はキッチンへ、オレは洗面所へ。先に立って階段を降りる一織のつむじを見下ろしているうち、足音のトントンというリズムに押されるように言葉がこぼれ出た。
「あのさ、一織」
「なんですか」
「オレがIDOLiSH7の七瀬陸じゃなくて、ただの七瀬陸でも、オレはお前のために歌うし、お前に一緒に歌ってってねだるよ」
「――――」
虚を突かれたように、一織はオレを振り返る。
「だから、IDOLiSH7の和泉一織じゃない、ただの和泉一織がどうしたいかも、考えてみて」
「七瀬さん、」
「それだけ。じゃあな、お休み!」
ひらひら手を振って、オレは足早に洗面所へ向かった。一織がくれた答えが嬉しかったのは本当で、でも、少しだけ心に引っかかってしまったのも本当なんだ。
一織が永遠を望んでいるのは知ってる。オレたち7人のIDOLiSH7じゃなきゃイヤだって思ってることも。
だけど終わりっていうやつは、ある日突然やってくるものだ。今日と同じ明日がある保証なんて、どこにもない。同じ病室にいた子が発作を起こして、戻ってこなかったこともあった。父さんと母さんが大切にしていたお店は人手に渡った。天にぃだって、いなくなってしまった。
なにもかもを失ったもしもの世界の話でも、一織はオレをIDOLiSH7の七瀬陸と呼ぶ。一織のそういう純粋さがオレは愛おしくて、でもときどき少し切ない。
IDOLiSH7が終わって欲しくないのは、もちろんオレだって同じだ。でも、オレがみんなを見つけたみたいに、天にぃをもう一度天にぃって呼べるようになったみたいに、なにかが終わってしまったその先に、新しい始まりがあることをオレは知っている。
小さく鼻歌を歌いながら、オレは洗面所の扉を開けた。鏡の前に7つ並んだコップと歯ブラシは、見るたびふわっと心があたたかくなる、オレたち7人がここにいるあかし。
この日々がいつか終わるとしても、いまのオレの幸せの記憶が消えてなくなったりやしないよ。だから大丈夫。いつか来るかもしれないラストシーンのその先にだって、おまえが、みんなが、呼んでくれるならオレは駆けつけるから。
――また新しい夢を見ようよ。
大好きな曲のワンフレーズを小さく口ずさみながら歯磨き粉を絞り出す。歯ブラシを加えたところで、背後のドアがガチャッと開いた。
「ひほい」
「ちょっと。歯を磨きながら喋らないでくださいよ」
鏡越しにオレを睨んだ一織が、紺色の歯ブラシを手に取る。オレがもたもたしすぎていたのか、一織がめちゃくちゃ手早くカップを洗ったのか。お休みって言った直後の鉢合わせは、ちょっと恥ずかしい。
「……さっき言われたことですけど」
「!」
さっきの今でさすがに喋れないオレは、目だけで一織に先を促す。一織は歯磨き粉のチューブを搾りながら、鏡越しにオレを見た。器用だなぁ。オレがそんなことしたら、歯磨き粉がボタボタ落ちちゃいそう。
「私の答えは変わりませんよ。あなたはIDOLiSH7の七瀬陸で、私はIDOLiSH7の和泉一織だ。――たとえ、世界中が私たちを、IDOLiSH7を忘れても、あなた自身さえ忘れてしまっても、それでも」
「――――」
「それだけです」
ふっと息を吐いて、一織も歯ブラシをくわえた。しばらく並んでシャカシャカと歯を磨く。この時間ってちょっと居心地が悪いんだけど、アイドルは歯が命なので、ここで手を抜いたらお説教が待っている。
すみずみまできれいに磨き上げてぶくぶくと口をゆすいで、チラリと見た隣では一織がまだまだ磨き中。無表情を装ってるけど、頬が少し赤くて、でも強い目をしていた。
オレを奮い立たせ、ステージの真ん中に押し出す、一織の目。
この目がオレをIDOLiSH7の七瀬陸にする。
「……そっか」
オレの返事に、一織がこくりと頷いた。
「明日も頑張ろうな、一織。オレ、明日も精一杯歌うから」
一織はまた頷いて、それからちょっと考えるような目をして、歯磨きを続けながら片手をぱっと開いて出した。わ、珍しい。一織の手にオレの手をパチンとぶつけ、オレは洗面所を後にする。
トントンと階段をのぼりかけ、ふと、本当に意味もなくふと、足を止めたオレの耳に届いたのは、口をゆすぎ終えたのだろう一織の、低く口ずさむ歌。
――最高のラストシーン、
きっと誰も聞いてないと思ってるんだろう。無防備な声だった。
――AFFECTiON いつまでも。
オレは足音をしのばせて、そうっと階段をのぼる。なんだか泣いてしまいそうだった。
ラストシーンのその先に、きっとオレたちの永遠がある。