BE WITH YOU

 あのさ、と陸が切り出したのは、いつもとなにも変わらない、とある夜のことだった。
 忙しい一日を終え、眠りにつく前のひとときを、一織の用意した甘いホットミルクをおともに二人で過ごす。
 ドラマチックなことが起きる要素なんて見当たらない、慣れた日常の、他愛ない時間だ。
「オレね、一織のこと大好き」
「……は」
 にこりと笑った陸のセリフに、一織の動きが止まった。きゅっと寄せられた眉の下で、長い睫毛がせわしなく上下し、白い頬がじわじわと朱に染まる。
 とはいえ、この程度の陸の無茶振りなら、一織にもまだ耐性があった。
「なんですか、突然。ええと……。ありがとうございます?」
「なんで疑問形?」
「あなたが唐突に変なことを言い出すからでしょう」
「変じゃないじゃん」
「脈絡というものがあるでしょう。さっきまで雑談してたじゃないですか」
「いま言いたくなったんだよ。Re:valeさんたちなんていっつも言ってるじゃん」
「あの人たちと一緒にしないでくれませんか」
「で、一織は?」
「はい?」
「一織はオレのこと好き?」
「……あなた人の話聞いてます?」
「聞いてるけどさあ、脈絡がないことのお小言は終わりだろ? だったら話の続きでいいじゃん。で、オレのこと好き?」
「なんなんですか本当に……」
「はーやーくー」
 陸が焦れた様子で肩をぶつける。観念したように大きなため息をつき、口元をこぶしで隠しながら一織は小さな声で答えを告げた。
「それは……あの……好きか、そうでないかと言ったら、まあ、……好きですけど」
「大好き?」
「本当になんなんですかしつこいな。……ええと……、…………はい、まあ、それでいいです」
「だよねー」
「『だよねー』!? あなた、人が恥ずかしいのを我慢して言ったことを軽く流しすぎじゃないですか!?」
「だって一織がオレのこと大好きって知ってるもん。一応確認したかっただけ」
「っ、こ、この男……っ!」
「でさ一織。聞きたいんだけど、これって恋愛?」
「……は?」
「オレ、みんなのこと大好きだけど、一織はなんだか、ちょっと特別な感じがする。一織がオレのことスーパースターにしてくれるって言ってくれたから、オレのプロデューサーだからかなとも思ったけど、それだけじゃない気もする。一織と一緒にいたいし、いないと寂しいし、一織が笑ってると嬉しいし、かわいいやつって思うし、一織がかっこいいとなんかドキドキするし、オレ以外と仲良くしてると、なんかモヤモヤする。これが恋愛の好きってやつなのかな。一織、どう思う?」
「いや知りませんけど!?」
 一織の声は、もうほとんど悲鳴だ。
 震える手でマグカップを置いて、逃げるように上体を引いたのに、空けた距離のぶんだけ陸がにじり寄ってくる。
「七瀬さんの感情でしょう。なんで私に聞くんですか。私にわかるわけないじゃないですか」
「でも一織、天にぃのこと話したときはオレのことすごい分析してたじゃん。オレのことコントロールするんだろ? じゃあオレの感情についてオレより詳しくなくちゃダメじゃない?」
「……えええ…………? ……いや、でも、そう……なんですかね……?」
「そうだと思う! だって一織、オレが一織の知らないとこで恋愛してたら困るんだろ?」
「それはまあ、正直すごく困りますけど…………いや待ってください、丸め込まないで。確かにあなたのメンタルを把握するのは私の務めですし、恋愛沙汰もそれに含まれるというか、むしろ把握しておきたい重要事項のうちではありますが、恋愛かどうかのジャッジまではさすがに私が踏み込んでいい領域では、というかそもそもですよ」
「そんなに一気に喋ってよく息切れしないよな一織」
「黙らっしゃい。いいですか七瀬さん。あなたのその……恋愛かどうかわからない好き、の、相手が、わ、私……だと、いうならですね。その感情が恋愛に相当するかどうかを問うのに、私はもっともふさわしくない相手じゃないですか」
「え、なんで?」
「私が直接の利害関係者だからです。あなた単純なんですから、私が理路整然と誘導したら影響を受けるでしょう。それはさすがにあなたに対してフェアじゃない」
「ええー。それ言ったらさあ、おまえにコントロール委ねてる時点で、おまえの利害に関係するとこまでとっくに影響受けてると思うんだけど、オレ」
「それとこれとは違うでしょう」
「どのへんが?」
「……っ」
 ずい、と覗き込まれて、一織は息を飲んだ。
 一織の脳内で、警告音が最大音量で鳴っている。
 けれど、もう、手遅れだった。
「なあ、一織。コントロールしたくないの? オレのおまえへの『好き』。恋愛で好きなのか、そういうのじゃないのか。おまえが決めていいよ。コントロールされてあげる」
 鼻先が触れあうような近さで、陸がニンマリと笑う。
 全人類に訴求すると他ならぬ一織自身が太鼓判を押す、七瀬陸のまっすぐなまなざしを受け止めて、一織の首から上は、もうこれ以上赤くなれないくらいに真っ赤に染まった。
「あ、あ、あなたねぇ……!!」
「あ、一織涙目になってる。かーわい」
「ひっ、人の気も知らないで……!」
「知ってる」
 視線は逸らさないまま、眉尻を少しだけ下げて、陸が笑う。
「たぶん、おまえよりオレのほうが知ってるよ」
「…………」
「言いたかったら、言っていいよ、一織。『クールでシャープな私の分析によると、七瀬さんのそれは恋愛感情ではありません』ってさ。そしたらオレ、ちゃんとおまえにコントロールされてあげるよ」
「っ、…………」
 一織の唇がわなないて、か細い声を押し出した。
「…………ひどい…………」
「うん」
「……ひどいじゃないですか……。ひどいですよ、七瀬さん……」
「うん。ごめん」
「っ、あなたの信頼を利用して、私に都合のいいことだけ教えて、あなたに……あなたに嘘をついて、それで全部うまく行くなら、とっくに……!」
「……うん。しないよな。わかってる。……ごめん。泣かないで」
「泣いてませんけど……!」
 意地っ張りなセリフに小さく笑う陸の指先が、一織の目尻に触れて、涙の雫を優しく拭っていく。
 そんな仕草ばかりが年上らしくて、ずるい。
「…………。私に決めさせないで。ノーも、……イエスも。ほかのことなら、全て完璧にコントロールしてみせます。だから……」
「そっか。わかった。……へへ。よかったぁ。ありがと、一織」
「七瀬さん?」
 濡れてけぶる一織の瞳に疑問符が浮かぶ。陸が苦笑を浮かべて、指で頬をかいた。
「していいよって言ったし、そのつもりだったけどさ。やっぱりオレも、コントロールされたくなかったみたい」
「…………」
 すん、と鼻を鳴らし、くしゃりと泣き笑いの表情を浮かべると、一織は陸の肩にごつんと額をぶつけた。
「……馬鹿な人」
「ん、ごめんな」
 押しつけられた頭をそのまま抱き込んで、陸はゆらゆらと身体を揺らす。
「大好きの分類、ちゃんと決めたら、言っていい?」
「……まあ、好きにしたらいいんじゃないですか」
「一織のも聞かせてくれる?」
「ちょっと。調子に乗らないで。図々しいんですよあなた」
「ちぇー、ケチ」
「やかましい」
 やりとりの温度が、馴染んだものに戻っていく。なんだか妙におかしくなって、くつくつと笑い出したのは二人ほとんど同時だった。
 ドラマチックなことが起きたり、起きなかったりする。少しだけ変化があって、それでもいつも通りの日常の、重大なようで他愛なくもある時間を、積み重ねた先に未来はあるのだろう。
 ……いつかね。
 笑い声の合間に、小さく小さく、一織は呟く。
 いつかの未来、二人でたどり着く場所のことを、たぶんもう、お互い知っている。それでもあともう少しだけ、曖昧な波に揺られていたかった。

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