たそがれの夢

 とある高名な画家が亡くなって数年後、街には彼の名がついた、りっぱな美術館が建てられました。
 画家の描く絵は優しくあたたかで、目にした人を幸せな気持ちにさせると評判でした。都に大きなアトリエを用意すると誘った金持ちもおりましたが、画家は生涯この街から出ることはありませんでした。画家は郊外の小さな家に暮らしており、そこには花々が咲き誇る美しい庭がありました。庭の四季のうつりかわりを描いた絵は、晩年の代表作となっています。
 おっとりとして気前のいいところのあった画家は、自分の絵を街の人にただ同然の安値であげてしまうことがありました。絵は街のあちこちに飾られ、人々の目を楽しませました。けれど残念なことに、画家の名声が高まるにつれ、画家の絵を盗んで売りさばこうとする不心得者も現れるようになってしまいました。それで街の人たちは話し合いを重ね、画家の絵をおさめた美術館を作ることにしたのでした。建設費用は街のひとびとの寄付でまかなわれました。特に、大領主でもある街一番の貴族は多額の出費をこころよく引き受け、屋敷に収蔵されていた画家の絵のほとんどを美術館に贈りました。先頃隠居した前当主は画家本人とも交流が深く、審美眼にすぐれた人物で、的確な批判は画家の作品に影響をあたえたとも言われています。
 美術館はいくつかの部屋に分かれ、主題や年代で分類された絵が飾られました。どれも素晴らしい作品ばかりでしたが、もっとも奥の部屋だけは、ほかとは雰囲気の異なる絵が展示されていました。
 それらは画家が生涯手放すことのなかった、未発表の作品群でした。
 画家には子孫がなく、長くともに暮らした友人も、もうおりません。それらの絵を散逸させず、この街に残すことが、生前の画家の望みでした。美術館がつくられた理由の半分は、かれの望みを叶えるためだったのです。
 部屋の入り口のプレートには、気取った書体で『たそがれの夢』と書かれています。飾られた絵はすべて、華やかで幻想的な夜のショーを描いたものでした。大きいものも、小さいものも、若い頃の作品も、晩年に描かれたものもあります。紺碧の夜空に星々がきらめき、花火がはじけ、さまざまな出し物が喝采を浴び、賑やかで楽しい音楽まで聞こえてくるような、きらびやかにうつくしく、けれどもひとかけらの切なさを漂わせるそれらの絵は、画家の得意とした画風とはずいぶんと異なり、けれども抗いがたい魅力をたたえていました。
 それらはすべて、世に知らぬものなき空飛ぶ奇術芸団、たそがれ一座のショーを描いたものです。一座がこの街にやって来たのは、画家がまだ若く、無名であった頃でした。見物料がわりに街でもっとも価値あるものを盗んでいくという一座が、この街から奪ったのは、画家の描いた絵でした。それはこの街に住む者なら誰でも知っている逸話です。たそがれ一座にえらばれるほど価値あるものを描いた画家――それが、かれが初めて得た声望でした。
 画家がどんな理由でショーの絵を描き続け、その絵を誰にも売ることがなかったのか、知る者はもうおりません。絵が奪われたことを嘆いていたのか、名声を得るきっかけになった一座に感謝していたのか、それとも――。人々は想像をたくましくするばかりです。
 一連の作品をおさめた部屋の、もっともよい場所には、ぽっかりと空白があります。制作年を記した小さな金属板だけが、ひかえめに貼られています。訪れた人々は、その空いた場所を見つめ、失われた絵のうつくしさを想像し、そのゆくえに思いを馳せるのでした。この国の空に、たそがれ一座の飛行艇が現れなくなって、もう四半世紀が経ちます。かれらがいま、どこの空を飛んでいるのか、誰も知りません。

 ある朝のことです。美術館の館長は、『たそがれの夢』の部屋の扉を開けるなり、おどろきの叫び声を上げました。館長は正面の壁に駆け寄りました。昨夜までただの壁だった場所に、一幅の絵がかかっています。
 夜のショーのクライマックスを描いた絵でした。どこか辿々しさを感じる筆致ながら、絵の中から歓声がきこえてくるような、いきいきとした感動に満ちています。
 それは間違いなく、ずっと昔に失われたはずの、画家の絵でした。
 絵はそのままその場所に飾られ、訪れる人々の目を楽しませています。
 その絵が一体どこからやって来たのかは、とうとうわからずじまいでした。

 おかしなことは、もうひとつありました。その夜、やってきた絵の代わりに、一枚の絵が美術館から消えたらしいのです。らしいというのは、目録にはたしかに記録されているのですが、職員の誰も、一体それがどんな絵だったのか、ちっとも覚えていないのでした。その話を聞いた美術館の常連たちも、首をひねっています。
 目録には、こう記されています。

『習作 笑うクラウン』