魔法の船はかれらを乗せて

 飛行艇は次の目的地をめざして、真夜中の空を泳いでいきます。
 一団のコックを兼ねる音楽家は食べ物を詰めたバスケットをぶら下げて、船室の扉をノックしました。コココン、コンコン。独特のリズムを受けて、扉はひとりでに開きました。空を飛ぶこの不思議な船には、どこもかしこも魔法がかかっているのです。
 灯りを落とした部屋には、奥の円い窓からほのかに月光が差し込んでいました。広いベッドの真ん中には、化粧をおとしたクラウンが身体を丸めるようにして眠っています。
 枕元のテーブルにバスケットを置いて、音楽家は小さく笑いました。たそがれ一座の団長であり、魔法使いでもあるクラウンの部屋に、本人の許しを得ずに入ることをゆるされているのは音楽家ひとりです。
 ふたりはこの船が空を飛ぶ前からともにいました。音楽家の奏でる曲を愛したクラウンが、世界中にその調べを響かせるために始めた旅一座は、いつの間にやらずいぶんと大がかりで、華やかなものになったのでした。
 ずれていた布団をクラウンの肩にかけ直してやると、音楽家はぐるりと部屋を見渡しました。この部屋には、クラウンが世界中で見つけた宝物が詰め込まれています。
 見物料の代わりに街で一番価値のある宝を盗んでいく――。いまやそんな噂すら囁かれるたそがれ一座ですが、もともとクラウンが目を留めたのは、世の人々が関心を寄せない、ささやかな品々ばかりでした。愛らしい細工のスプーンや、街外れにひっそり咲いた珍しい花、土地に伝わる素朴な織物、磨かれることなくうち捨てられた鉱物……。
 ものばかりではありません。いまやたそがれ一座に欠かせない存在となった、青い瞳のナイフ投げも、人に怯える人形つかいも、生まれた土地ではうち捨てられていた、クラウンが見つけた仲間です。
 よそものであるクラウンが手を伸ばすことによって、さまざまなものに光があたりました。土地に縛られた人々は、クラウンが持ち去ったものの美しさや貴重さに、うしなってはじめて気づき、残されたよく似たものの価値を見直すのでした。そんなことの繰り返しや、おそらくはクラウン自身がショーで披露するイリュージョンの印象が、噂のもとになったのでしょう。いまではたそがれ一座が訪れると、街の金持ちは大騒ぎです。けれどクラウンは昔から変わらず、かれ自身の心惹かれるものを求めるばかりでした。
 すうすうと寝息を立てるクラウンは、額装もしていない剥き出しの絵を大事そうに抱えています。先の街でクラウンが貰い受けてきた、いちばん新しい宝物です。カンバスいっぱいに、たそがれ一座のショーの様子が、あざやかに描きだされていました。楽しく賑やかで、あたたかく、けれどもどこか寂しさの漂う、ふしぎな魅力のある絵の真ん中で、シルクハットのクラウンがほほえんでいます。
 音楽家はやさしく笑って、クラウンの黒髪をそっと撫でました。笑顔がにがてな泣き虫クラウンは、ショーのステージでは魔法の化粧をほどこして笑います。けれど、この絵を抱えて船に戻ってきたクラウンが浮かべていた嬉しそうな笑顔は、きっとかれの心からのものでした。
 だれよりすぐれた目を持ち、えらびぬいた宝物に囲まれながら、あるいはそれゆえに、クラウンは自分自身のうつくしさを信じません。魔法を奇術といつわり、奇術を魔法といつわって、笑顔の仮面をかぶる道化師のさみしい心を、きっとこの絵が慰めてくれるのでしょう。
 音楽家は窓辺のカウチに腰を下ろすと、アコーディオンを構えました。愛用の楽器に囁きかけて小さく小さく音を絞り、歌い始めたのは懐かしい子守歌です。クラウンも音楽家もまだほんの子供だった頃、優しく懐かしい日々の記憶とともにある歌でした。
 クラウンが身じろいで、口許にほのかな笑みを浮かべました。
 魔法の船はかれらを乗せて、きらめく夜空をわたっていきます。いつか、夢見たどこかにたどりつく日まで。