道化ヒーローの誕生 - 2/2

「この人物を新しいヒーローとして、御社のヒーロー事業部からデビューさせていただきたい」
 男を名指ししてアポイントを取ってきた司法局の役人は、名刺交換を終え秘書が引き下がるや否や、単刀直入に切り出した。
 役人が差し出した携帯端末のうえでホログラムが像を結び、ひとりの少年の姿を映し出す。伸ばした前髪の下からのぞく瞳は、ヒーローという言葉にそぐわない、暗い光をたたえてこちらを見ていた。
「イワン・カレリン。ヒーローアカデミーの学生で、擬態能力を持つNEXTです」
 アカデミーの学生か。男は眇めた目で少年の映像を見やった。役人が同室していなければ鼻で笑うところだ。ヒーローに、あんな腐ったものになるために学ぶなど、男には愚かしいとしか思えなかった。
 ホログラムはついで少年――イワン・カレリンの経歴や、アカデミーでの成績、取得したさまざまの資格、そして能力の詳細を伝える文書を表示したが、それを一顧だにせず、男は眼鏡のフレームを指で押上げた。
「ヒーロー事業部は確かに先日買収した企業から引き継ぎましたが、近日中に解散予定です。我が社はヒーローを持つ予定は今後も全くない。他をあたっていただきたい」
 ヒーローなどくそくらえだ。誰がヒーローなど抱えるものか。腸の煮えくり返る思いを見事に包み隠し、企業CEOとしての答えを口にする。
 だが役人は男の返答がなかったかのように言葉をつづけた。
「彼の擬態能力は非常に高いものです。無機物のみならず有機物――人間までも、その姿形を完璧にコピーする。声紋も指紋も、網膜や静脈までも本人そのものだ。NEXT能力まではコピーできないので、攻撃や防御には利用しづらいのが難点ですがね」
「攻撃も防御もできないのでは、ヒーローとしては向いていないのではないですか。彼の能力を生かす方向は他にいくらでもあるでしょう」
「ええ、そこです」
 ヒーローに向かないことを理由にさっさと断ろうとした話の方向で、思いがけず得たりと頷かれ、男は虚を突かれて眼鏡の奥の目をわずかに見張った。
「おっしゃる通り彼の能力にはヒーローにはあまり向かない。最も向いているのは――犯罪者です。なにしろ彼の前にはあらゆる生体セキュリティが意味を為さない。
 もちろんヒーローを志してアカデミーに進学した生徒です。その志望を持ったままであればなんの問題もないのですが、……いささか厄介な事件がありましてね。ヒーローを目指す意志が折れてしまった。アカデミーでもカウンセリングを行っていますが、はかばかしくない」
「……アカデミーの、カウンセリング、ね」
 男は唇を皮肉げに歪めた。ヒーロー養成を掲げたアカデミーがその実、厄介なNEXT所持者を早い段階で囲い込み、一定の方向性を持った思想を植え付けるための機関であることは薄々感づいていた。設立からすでに数年が経っているが、アカデミーを経てデビューしたヒーローなどひとりもいないのだ。
 そのコントロール下から外れようとしている、限りなく犯罪者に向いた能力を持つNEXT。
 司法局がどうにか管理下に置こうとするのも道理だ。
「そこで司法局は、彼をヒーローデビューさせることを決定しました」
「成程。ヒーローであれば所属企業と司法局で彼を縛ることが出来ますからね」
「これは人聞きの悪い。せっかくの能力を世のため人のため役立ててもらいたいのですよ。戦闘にはあまり向かないでしょうが、本人もそれはわかっていて体術はよく鍛えている。どうにでもやりようはあるでしょう」
「お話はわかりましたが、我が社が彼を引き受ける理由はありません」
 再度きっぱりと断りの文句を口にしたが、役人は余裕ありげに微笑むだけだった。
「ヒーロー事業統合の話はすでにお聞きおよびかと思いますが……」
 男は渋々頷いた。アポロンメディアを中心に、七大企業でヒーローを独占しようという動きがあることは知っていた。いくら男がヒーローを憎み、ヒーローTVを嫌悪しようとも、シュテルンビルトの経済界はヒーローの動静を知らずにやっていける場所ではない。すでに所属を移したヒーローや、新たにデビューした若いヒーローもいる。アポロンメディア側からはすでに幾度か、ヒーロー事業への進出を打診されていたが、男は断り続けていた。統合の意義は理解できなくもないが、やるなら他の六社で勝手にやればいい。なにも七社が足並みを揃える必要はない。
 だが、よもや司法局から手が回されようとは。
 男の背中を冷や汗が伝い落ちた。
「実はこれは司法局の意向も反映したプロジェクトでしてね。やはり強力なNEXT能力者を管理するのに中小企業では荷が重い。それにヒーローはシュテルンビルトが誇る存在です。御社を含めたシュテルンビルトを支える七社こそ、その活動を支えるのにふさわしい。
 もちろんヒーローという公共事業に投資していただくのですから、スポンサー収入以外にも御社に見返りはあります。具体的には、ヒーローを擁する企業に対し、法人税の特別優遇措置を講じる法案を現在整備中です。おそらく半年以内には実現するでしょう。ほかにも、詳細は追って書面でご案内いたしますが、さまざまなメリットをお約束できます。けして御社の損になる話ではありませんよ。優れた実業家である貴方にはよくお分かりのはずだ」
「……では。お断りした場合の、我が社のデメリットは」
「残念ながら、お断りいただけるような話ではないのです、すでに」
 役人はわずかに口の端を持ち上げた。蛇が舌なめずりするような印象の笑みを、男は目に力を入れて受け止める。
「そうですね……もし、万が一にですが、御社がこのお話を拒否なさった場合。ヘリペリデスファイナンスは新たなCEOを迎える準備をせねばならないかと存じます。
 ――そうそう。十五年前の事件。伯父上様には大変お気の毒なことでした。お悔やみ申し上げます」
「――――!」
 ぎり、と男は歯ぎしりをした。
 シュテルンビルトを離れなかったことを、今ほど公開したことはなかった。
 泥の中に引きずり込まれようとしている。それが痛いほどわかっていてなお、断る選択肢はすでに男には残されていなかった。今の男の双肩には、ヘリペリデスファイナンス全社員とその家族の生活が乗っている。短期間でここまで会社を大きくした彼以外に、CEOを担える人物などいようはずがない。己が消されれば、それは社の崩壊と同義だ。
 役人は男の表情をまるで意に介さぬ様子で、立ち上がると慇懃無礼に頭を下げた。
「では、追って書類をお送りします。本人との面談日程については御社にて調整の程を」
 特別応接室の扉が音もなく開き、役人のスーツ姿を呑みこんでまた閉じるのを、男の目はすでに見もしなかった。口を付けられぬまま冷めたコーヒーを回収しに来た秘書が、入り口でひっと息を呑んでまわれ右したことにも気付かず、多忙なCEOは中空を人も殺せそうな目つきで睨み続けた。

「――どうせなら、徹底的に茶番にしてやろうじゃないか」
 聞く者があればぞっと背筋を粟立たせただろう、憎悪に満ちた暗い声が、静まり返った部屋に響いた。

 正義のヒーローなど、どこにもいない。
 いるのは腐った舞台で踊る人形だけだ。
 ならば道化師こそがふさわしい。

 正義を行わない、市民を守らない、スポンサーに媚びるだけの、人々に笑われるだけのヒーロー。それでもこの街の定義では「ヒーロー」なのだと、やがて市民は知るだろう。

「イワン・カレリン。我が社に拾われたのが運のつきだと思うがいい。
 ――道化ヒーローの誕生だ」

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