アポロンとダフネ - 2/2

「だって、折紙さんスカイハイのこと好きなんだよ!」
 両手で握りこぶしをつくったパオリンの声高な訴えに、帰ってきたのは短い沈黙と、いくつかの大きなため息。
 あれあれ、いま自分は重大なことを言ったはずだぞ、と首を傾げるパオリンの頬を、ファイヤーエンブレムがつんとつついた。
「あらヤダ、言っちゃった」
「え、なになに?」
「……みんな知ってるわよそのくらい」
 カリーナが肩をすくめて言う。うんうん、と男性陣全員が頷いて同意を示した。

 実際のところ、イワンがキースに恋心を抱いていることも、そしてそのキースがイワンの想いにまるで気づいていないのも、すでにヒーローたちの間では暗黙の了解事項であった。パオリンまで気づくのだから大概だ、というのが残りのメンバーの共通した思いである。
「ちょっと見てりゃあわかるって。好き好きオーラだしまくりじゃねえか折紙の奴」
「先輩はわかりやすすぎですよ。一応隠してるつもりみたいですけどね」
 虎徹が苦笑いし、バーナビーが眼鏡のブリッジを押さえる。
「あれで伝わってねえスカイハイのほうが謎だぞ、俺は」
 太い腕を組むアントニオの尻をひと撫でして(ぎゃっと野太い声が上がった)、ネイサンがいたずらっぽく唇の端を釣り上げた。
「仕方ないでしょ。なにしろスカイハイだから」
 ああ……と、またため息が重なった。
 そう、相手はなにしろスカイハイだ。
 30も近くなって、好意を寄せた少女にアプローチのひとつもできず赤面してもじもじしてしまうような天然記念物。
 同性であるという以上に、スカイハイであるという壁のほうがはるかに大きいだろう。
 ――と、いう、その「なにしろ」男が現在、彼に恋する青年の前に膝をついて、どこで覚えたんだと突っ込みたくなる愛の言葉を並べたて、その男に心底惚れているはずの青年は、もとから白い肌から更に血の気の引いた顔で、耳をふさいでうずくまっている。怯えきっているのが一目でわかるありさまだ。
 このねじれた状況は、たしかに、放置しておくにはあまりにも気の毒だ。同時に効果が切れて、その間の記憶を一切失っているというなら問題ないかもしれないが、そう都合良く行くという保証はどこにもない。うん、と目を合わせて頷き合った6人のヒーロー達は、意を決した表情で二人のもとへ歩み寄った。
「スカイハイ!」
 真っ先に到着したのはパオリンだ。子どもの強引さでキースの顔をぐいと自分に向け、ぷんぷんと怒ってみせる。
「折紙さんに意地悪したらだめ!」
「意地悪なんてしていないさ! 私はただ、折紙くんに私の気持ちをわかってもらいたいだけなんだ。ああ、私がどれだけ折紙くんを愛しているか、かなうものならこの胸を切り裂いて見せてあげたいほどだよ……」
 心外そうに反論したキースが、苦悩の表情でたくましい胸に手を当て、普段の彼なら真っ赤になって口ごもるような台詞を淀みなく口にする。金髪碧眼の美丈夫によるそれは似合いすぎて舞台役者のようで、世の女性の九割はうっとりと頬を染めるだろうが、彼をよく知る人々はまったく異なる感想を抱いた。すなわち、なにこのスカイハイきもちわるい。
 思わずたじたじとなったパオリンに代わり、今度はカリーナがビシィ! と人差し指をキースの鼻先に突きつけた。他の男に恋する女は強いのだ。
「だっから! そうやって迫るのを止めろって言ってるの! 折紙見なさいよ、泣いちゃってるじゃない!!」
「えっ」
 キースが空色の瞳を驚きに瞠り、顔を向けた先では、ぐすぐすと泣くイワンをアントニオがその巨体の背に庇い、バーナビーがよしよしと頭を撫でて慰めているところだった。
「ひっく……ぐす、うぅ、スカイハイ殿怖いでござるぅ……」
 テンパりすぎて折紙サイクロン口調になっているイワンの濡れた頬を、バーナビーが真新しいハンカチで甲斐甲斐しく拭いてやっている。パオリンやカリーナにも向けたことのないような慈愛に満ちた表情に、少女たちが若干生ぬるい目になっているのも意に介さず、ほら先輩、あんまりこすったら腫れてしまいますよ、と優しく世話を焼くバーナビー・ブルックスJr。その様子に拗ねたような呆れたような目を向けつつ、隣では虎徹がイワンの丸めた背中をぽんぽんと叩いていた。
 目をぱちくりとさせてその光景を見ているキースが、今の今までイワンの反応に気づいていなかったのは明白だ。
 普段なら、イワンが少しでも元気のない様子を見せれば、真っ先に心配して声をかける男がだ。
 かつてのキースのかわいらしい恋(アラサー男の恋愛がそんなかわいらしくていいのかという疑問はさておいて)を思えば、今のキースの状態が、ただ恋心を植え付けられただけでなく、理性のタガまでふっとばされていることがわかる。無理に触れようとしないだけ、まだ紳士とすら言えるかもしれない。
 思えばキースもまた被害者なのだ。つくづくタチの悪いNEXTだ、と虎徹は内心で同情しつつも、心を鬼にして厳しい表情を作った。
「あー……お前が折紙が大好きなことはわかった」
「ああ、大好きだ! そして愛している!!」
「はいはい。でもな、お前さんのそれは、今の折紙には迷惑なんだよ。スカイハイ」
「えっ……」
「今聞いても理解できねェかもしんねえが、お前さんのその気持ちは、あの女に無理やり植え付けられたもんだ。そして、折紙にその気持ちをぶつけても、今の折紙には絶対に受け入れられないんだよ」
「わからない、わからないよワイルドくん。私は折紙くんを愛しているんだ。その気持ちを彼に伝えたい、そして私を見てほしいんだ、――それがどうしていけないんだい……?」
 凛々しい眉を悲しげにひそめて訴える様子は胸を打つものだったが、それが強制された感情だと知る者にはまるで茶番劇だ。業を煮やした虎徹が、だぁッ! と吠えながらハンドレッドパワーを発動させた。キースの首をがしりとホールドし、ずるずると入口へと引きずっていく。
「いいからお前は今日は帰れ! んでしばらくここ来んな!」
「離してくれないかワイルドくん! ――折紙くん、折紙くんっ!!」
 キースも力を発動させて逃れようとしているが、相手を傷つけまいと加減した力では、ハンドレッドパワーにはとてもかなわない。じたばたと暴れながら必死でイワンへと手を伸ばすキースが、半ば無意識に巻き起こしてしまったのであろう突風が、ブワッとイワンのプラチナブロンドを巻き上げた。
「いやぁっ!!」
 悲鳴を上げたイワンの、恐怖に染め上げられた白い顔に、キースの目がこれ以上ないほど見開かれる。
「あ、―――」
 唐突に風が止んだ。虎徹に引きずられるまま扉の向こうに消えたキースが、最後に浮かべていた表情に、ただひとり手出しも口出しもせず見守っていたネイサンは長い長い溜息を吐いた。
[newpage]
 キースとイワンの追いかけっこは、結局、それから毎日ジャスティスタワーで繰り広げられることになった。

 初日の夜のうちに自宅に突撃され、泣きながらヘリペリデスファイナンスに逃げ込んだイワンをヘリペリデスの社員(折紙廃率99%と評判)は総力を挙げて匿ったが、イワンから遠ざけられたキースが逆上し、生身のまま社屋の周囲を飛び回るという暴挙に及んだために、ポセイドンラインの担当者がアニエスと司法局に泣きついたのである。
 また、犯人の女への尋問と過去事例からの調査報告、実際のキースの行動から、「イワンと引き離される距離および時間に比例してキースの異常行動が増大する」という結論が導き出された。他の六社の事業部及びヒーロー当人たちの合意も取れたことから、能力の効果が切れるまで、時間の許す限り全ヒーローがジャスティスタワーに集い、キースが近づきすぎるのを阻止しつつ、イワンの精神的ケアを請け負うことになったのだった。
 当然のようにヘリペリデスからはCEOと事業部長の連名で厳重な抗議が寄せられたが、「要するに付かず離れずの距離がいちばん安全なのよ」とアニエスに諭されたイワンが、涙目で震えながらも「ぼ、僕、がんばります……僕だってヒーローですから……」と健気に宣言したのが決定打だった。
 いやそれヒーローの仕事じゃないし。と、居合わせた全員が思ったのは極秘事項である。

 と、いうわけで。
「お・り・が・みくぅぅぅぅぅぅぅぅん!」
 早朝、元気いっぱいでトレーニングルームに現れたキースは、挨拶もそこそこに想い人(ただし期間限定)の姿を探す。ベンチに座っていたイワンが、ぴぎゃっ! というような声をあげて硬直する。駆け寄ってハグしようとするキースを、イワンと並んで座っていたパオリンが電撃で阻止し、すかさずアントニオがキースの頭をべしんと叩いて、もう何度目か数える気にもならない説教をかます。手をわきわきさせながらもなんとか触れない距離を保ったキースが甘ったるい声で「折紙くんおはよう! そしておはよう!」と呼びかけ、蚊の鳴くような声で「…………お、おはようございます……」となんとか返事したイワンが気力の限界でロッカールームに逃げ込み、反射的に追いかけるキースをバーナビーが容赦ない足払いで床に転がす――という光景が、ジャスティスタワーのヒーロー専用トレーニングルームで、一日に数回は繰り返されるのであった。キースとイワン以外のメンバーが時間帯によって入れ替わるのと、キースのかける言葉とそれに対するイワンの返答がシチュエーションによって異なるくらいで、だいたいの流れはいつも一緒だ。
 ときどきは、イワンが擬態も駆使した全力疾走で逃げまくって、キースがしょぼんとしたり、かと思えばキースがハグに成功して、イワンがこの世の終わりのような悲鳴を上げたりということもあった。

 それは見る者にとっては喜劇に他ならず、
 ――しかし当事者にとっては、まぎれもなく悲劇だった。
[newpage]
 そして、四日目の朝のこと。
「折紙くん折紙くん、おはよう! そしておはよう!」
 いつものように大きな声でキースに呼ばれ、いつものように身体を硬直させたイワンの顔色は、だがこれまでと違って、真っ赤だった。おや? と、この日朝番だった虎徹が首を傾げたとたん、
「っふ、ふえええぇぇ…………」
 ぼろぼろと、子供のように泣きだしたイワンが、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
「折紙くん!? どうしたんだい折紙くん!!!」
 不意を突かれた虎徹が阻止する前に、キースが瞬間移動かと思うような俊敏さで駆け寄り、イワンの前に膝を突く。伸ばそうとした手を、しかしキースはこれまた今までになく、自分の意思で止めたようだった。ぐっと握りしめたこぶしに浮き上がった太い血管が、キースがどれほどの精神力でその手をとどめているのかを伝えている。
 かけられた暗示の効力が弱まっているのかもしれない。判断に迷った虎徹は、同じく朝から来ていたネイサンと視線を交わすと、状況を見守る。
「――ス、カイハイ、さ」
 ひっく、ひっくと泣きながら、イワンが絞り出すようにキースを呼んだ。両手を交差して自分を抱いた姿は、キースと同じく、逃げ出そうとする身体を必死に押しとどめているように見えた。
「ご、ごめんなさ、ごめんなさい、ぼく、き、嫌ってなんか……」
 歯の根が合わないほどおびえながらも、縋りつくようにキースを見つめて、イワンは言葉を押しだす。
「逃げたく、ない、のに、うぅーっ、………………き、…きらわ、ないで、くださっ……」
 うう、うう、と、唇を噛んで嗚咽をこらえるイワンを、キースもまた、内心をこらえたぎらぎらと光る瞳で見つめ返した。
「……わかっているよ、大丈夫だ。私こそ……すまない、きみを怯えさせたくはないんだよ、ほんとうだ」
「は、い……」
 ぽろぽろとイワンの頬をこぼれおちる涙を拭おうとしてか、キースの右手が伸びかけて、空中でぎしりと止まる。
「すまない。私のせいで折紙君にひどい迷惑をかけてしまった。折紙くん、折紙くん愛してる……ああ、違う、違うんだ! 私はただ、きみに、ありがとう、と」
「ぼ、…くは、なにも……」
「いや、きみが居てくれなかったら、私はどうなっていたかわからない。……きみにひどいことを言っていると知っているが、――無理矢理でも、嘘の気持ちでも、きみに恋して私は幸せだった。本当に幸せだったんだ。この気持ちが消えてしまっても、それだけは嘘じゃない。信じて、欲しい」
「スカイ、ハイ、さん……」
「折紙くん。いや、イワンくん。お願いだ、一度だけ……この気持ちが消えてしまう前に、どうか一度だけ、私を呼んでくれないだろうか、――キース、と」
 振り絞るような懇願に、アメジストの瞳を涙でいっぱいにしたイワンが、ひくひくと喉を鳴らしながら、
「…………キースさんっ……」
 かぼそく呼んだそのときが、キースの限界だった。
「イワンくんっ!」
 がば、と抱きつかれ、イワンがとうとうこらえにこらえた悲鳴を上げる。
「イワンくんイワンくんイワンくんイワンくん!!!! 好きだ、好きだ、好きだ、好きだ……! ――ああ、くそっ」
 Goddamn! と似合わない言葉を吐きだし、細い身体を腕に閉じ込めたまま、キースが天を仰いだ。スカイブルーの瞳が自身の不甲斐なさを嘆く涙に濡れる。
「だめだ……ワイルドくん、ファイヤーくん、頼む、私を止めてくれ!!!」
 その声に、はっと我に返った虎徹が、正確な手刀をキースの延髄に決め、がくりと崩れ落ちた逞しい体躯を、ネイサンがイワンから引き剥がす。
「……折紙」
「………………あ、あ、あ、ううーっ……」
「よく頑張ったなぁ。えらいぞ折紙」
 ふわふわしたプラチナブロンドを胸元に引き寄せて、虎徹はあやすようにゆっくりとイワンの身体をゆする。
 堰を切ったように泣きじゃくるイワンを、娘が幼いころによくそうしたようなやり方で、虎徹は長いことゆらゆらと抱いていた。

「……僕も…、うれし、かったっ…………キースさん、……すき……」

 小さく小さく呟かれたその声は、聞かなかったふりをして。

 その日を境に、ふたりの関係は、少しずつ元に戻りはじめた。
 もちろん揺り返しのようにキースが衝動に負けたり、イワンが泣き出したりしたが、少しずつ笑顔がかわせるようになってきた二人に、やきもきと見守っていた周囲のヒーロー達は、ほっと胸をなでおろしたものである。

「ちっ、堂々と蹴り飛ばせるいい機会だったのに……」
 ――バーナビーの不穏なひとりごとは、誰もが聞かなかったことにした。
[newpage]
 そして、奇しくもちょうど一週間後、ヒーローコールが久々の事件を知らせる。
 縦横無尽に活躍する、ようやく全員集合した一部ヒーローたち――なかでも、この一週間のブランクを取り戻そうとするかのように飛び回るスカイハイと、絶好調で見切れまくる折紙サイクロンに、シュテルンビルト市民は惜しみない喝采を送った。
 事件は早々に幕を下ろし、またも最高ポイントを獲得したスカイハイに、インタビューアが好奇心の隠せない顔でずずいと迫る。
「おめでとうございます、そしてお帰りなさい! さてスカイハイさん、我々は一週間前の事件を忘れてはいませんよ! あのあとすぐにお二人はお休みに入られたことで、我々としても想像をたくましくしてしまうわけですが……」
「ご無沙汰してしまってすまない、そしてすまない!! 実はちょっとハネムーンに出かけていてね!」
「は、はい!? あのっ」
「――スカイハイ殿ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
 そこへ、ビルの屋上から長く尾を引く叫びをあげながら、青い影がひゅるるるるるるるるると落ちてきた。そして二人の頭上でくるくるくると回転すると、背に負った大手裏剣を投げ捨て、スカイハイの腕に飛び込む。スカイハイは、起こした風で落下速度を弱め、落ちてきた折紙サイクロンをふわりと受け止めた。
 見事なお姫様だっこ体勢に、野次馬になぜか混じっていたバーナビーから、「ちょっと僕の得意技取らないでくださいよ!!」とすかさず突っ込みが飛ぶ。それに「バーナビーくんはワイルドくんを抱っこすればいいじゃないか!」と叫び返したスカイハイに、見事なプロ根性で驚きから立ち直ったインタビューアが食らいついた。
「きょ、今日は先週とは違って折紙サイクロンさんからスカイハイさんへのアプローチでしたが、ええと先ほどハネムーンという言葉も聞こえましたが、お二人はどういったご関係なのでしょうか!!」
「ははは、それはご想像にお任せするよ、そしてお任せする!」「でござるよ!」
「「ねーっ!!」」
 顔を見合わせて笑い声をあげたスカイハイと折紙サイクロンが、「ではこれにて失礼するよ!」「でござる!」と手を振り、お姫様だっこ体勢のまま、ジェットパックの最大出力で空の彼方に消える。最後にはヒーローらしく、ぴかりと光のきらめき。
 ねーっ、じゃねえよ可愛いな畜生! というのが、残された市民の方々と職務熱心なインタビューアの、正直な胸の内であったろうと、のちにコメンテーターは重々しく述べたものだった。

 結局、いろいろとうやむやのうちに、一週間前の騒動と今回の復帰劇は、スカイハイと折紙サイクロンが溜まった有給休暇の消化を兼ねて企んだ悪ふざけ、もしくはヒーローTVのドッキリ企画、ということで落ち着いた。
 なかなか無理のあるオチではあるが、敏腕プロディーサーを筆頭にしたアポロンメディアサイドが味方につけば、たいていのことはごり押しできるのが大人の世界というものである。
 念のためとNEXT医療の専門機関の最終的なチェックも受け、暗示は完全に解かれたというお墨付きと、直帰の許可をもらったキースとイワンは、二人並んでモノレールの駅までの道を辿っていた。
 人気のない遊歩道に、街燈のあかりがつくる二人分の影が伸びる。ときどきわずかに重なる影の、その距離が嬉しいとイワンは思った。
 大好きな人が同時に怖くてたまらない、暗示の解けかけの時期の引き裂かれそうな想いはもう自分の心のどこにもなくて、あるのはただ、もとの通りの大好きの気持ちだけだ。
「……ねえ、折紙くん」
「はい、スカイハイさん?」
 ふと立ちどまったキースを、イワンは首を傾げて見上げた。
 そっと胸を押さえて、大切な思い出を語るように、キースは口を開く。
「折紙くん。――君への激しい恋は、なくしてしまったけれど……」
 一拍遅れて、イワンが顔をぼんっと真っ赤にした。
 好きだ、愛している、と繰り返すキースの、恋に浮かされた顔が脳裏によみがえる。
 女のNEXTに恋を拒絶するよう仕向けられ、当時は恐怖心しか感じなかったそれは、今思い返せばものすごい破壊力だ。あの、その、と挙動不審になるイワンを目を細めて見つめ、キースがふわりと微笑む。
「君に恋した、幸せな気持ちを、私は忘れてはいないよ」
「…………っ」
 息をのみ、涙をこらえて、イワンは俯いた。
 ――充分だ、と、思った。
 一週間も保たなかった、にせものの恋でも。
 それすら上手に受け止めさせてもらえなかった、苦しいばかりの思い出でも。

 キースがそう言ってくれるなら、充分だ。

 ――だのにキースはイワンの頬に手を添えて、あちこち歪んだひどい顔を、彼の前に晒してしまう。
 こらえきれなかった涙が、ぽろりとこぼれそうになった、そのとき。
 甘い、甘い声音で、

「イワンくん」

 なまえを、呼ばれる。
「だから、ね。もう一度、きみと恋を始めても、いいかい?」
「え……」
「今日、やっと自信が持てた。暗示はもうない、だからこれは、正真正銘、私の心からの気持ちだ」
「あ、の」
「好きだよ」

「――スカイハイ、さん」
 違うよ、と、首が振られる。

「キースさんっ……っ!!」

 あとは抱きしめあう恋人たちが、いるばかり。

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