うそつきムルの告白

 シャイロック。実は俺の記憶はとっくに戻っていたと言ったら、きみはどんな顔をするのかな。怒る? それとも笑う? やれやれと肩を竦める? どの姿も思い浮かぶけれど、そのどれでもないような気もする。きみのことは誰より知っていたつもりだけれど、それでもすべてはわからないままだった。いつだってきみは、俺をわくわくさせてくれるとびきりの謎なんだ。
 きみは俺を変えてしまったと悔いていたようだけれど、そもそも万物はつねに不可逆的に変化を続けるものだからね。変わらない存在など、なにひとつとしてない。俺はたしかに変化したけれど、きみが俺を変えたというのはきみの自己愛であり、同時に俺への執着のあらわれだよ。
 きみは俺を変えてしまいたかった。きみの言うことを聞かない俺を憎んでいたものね。でもきみは、きみのいうことを聞かない俺、きみに変えられたりはしない俺だからこそ愛してもいた。だからきみに変えられる俺に耐えられない。だのに素直でかわいい従順な俺をはねつけることもできない。そんな葛藤を抱えながら、こんなにも長いこと俺と過ごすんだから、きみのマゾヒズムは感嘆に値するな。おっと、怒らないで。褒め言葉だよ。
 そう、ずいぶん前から記憶は戻っていた。おそらくね。忘れていることは忘れた本人には知覚できないものだから、完全にとは言い切れないが。
 きみだって心の奥底では気づいていたはずだよ。気づいていて目を逸らしてはいなかった? 俺は嘘はつかないもの。覚えているものを覚えてないとは言わなかった。わからないとは言ったけれどね。だってきみが想定する俺の記憶と俺自身の記憶が合致するかどうかは確かめようがないのだし。
 さて、きみは疑問に思うだろう。記憶が戻ってからも俺がきみへの態度を変えなかったのはなぜか、とね。魂が砕ける前の俺は、きみ曰く誰よりも高潔で、誰よりも聡明な紳士だった。間違ってもきみに猫のように懐いたり、宙を飛んで抱きついたり、子供たちと遊び回ったりなんてしない。そうだよね。
 ……あのねシャイロック。これはきみには言うつもりはなかったんだが。
 俺は、たぶん……。
 きみに、そうやって、甘やかされて、素直に甘えるのが、その……。
 ……うん。嬉しかったんだ。
 昔、俺がなにもかも失ってきみの店に行ったときも、きみは俺に優しかった。あのときも嬉しかったんだよ。でも俺はきみにありがとうなんて言えなくて、かわりに減らず口を叩いた。きみは静かに笑っただけだったけれど。
 ……笑ってくれていいよ。
 きみに幻滅されるのが怖かったんだ。
 こう言うときみは厭な顔をするだろうし、俺もあまり認めたくはないけれど、俺の顔立ちはきみより少々幼いだろう。たぶん肉体の成長が止まるのがきみより早かった。魔法使いの外見年齢と精神の発達度合いについて調査してみたことがあるんだが、これには否定しきれない相関がある。俺としては不本意な結果なんだが、統計に嘘をつかせるわけにはいかない。このテーマで論文を書くのはやめておいたけどね。つまりだ、俺の内面にはきみより幼いまま成長を止めた箇所が、おそらくある。しかもきみは人あしらいの達人だ。
 だから、俺は……。
 気恥ずかしいが、この際正直に言おう。魂の砕ける前の俺は、きみの前で、ずっと虚勢を張っていた。精一杯、格好をつけていたんだ。
 きみがオズやフィガロにすらしてみせるような子供扱いをされるなんて、まっぴらさ。俺は、きみにとって油断ならない相手でありたかった。きみに容易にあしらわれない、きみをやりこめられる、きみに傷をつけられる存在でいたかったんだ。
 きみが俺をお気に入りのひとりに加えて、気まぐれにダンスの誘いに応じて、気まぐれに嬲って、気持ちよくさせて、ときに甘やかして……そういう、誰かとおなじ扱いは気に食わなかった。きみに甘く微笑まれるより、きみに眉をつりあげて睨まれるほうがよかった。
 ……でもね。
 魂が砕けて、俺の自我もばらばらになって、紳士とはほど遠い存在になって、……思い出すと赤面するな。獣か、赤ん坊のようだった。誰が友人のそんな姿を見たいだろう? けれどきみは俺を見放さなかった。俺をどこかに閉じ込めて、拾い集めた欠片を戻しても良かったはずだよ。それでもたぶん俺は徐々に人らしくなったはずだ。でもきみはその代わりに俺を傍に置いて、こまごまと面倒を見た。身だしなみを整えて、食事をさせて、言葉やマナーを教えて……。
 そう。壊れてしまった俺にすら、きみは幻滅しなかった。
 それどころか、俺に愛をくれた。
 きみの膝で丸くなったら、きみは俺の髪を撫でてくれたね。抱きついたら抱き返してくれた。いたずらを甘く叱って、手伝いをしたら褒めて……。
 きみは昔の俺を恋しがりながら、新しい俺のこともそのまま愛してた。俺が元に戻ることを願いつつ、猫みたいな俺を惜しんでいた。
 あんまりじゃないかと思ったよ。衝撃だった。俺がきみの前でしていた背伸びはなんだったんだい。それで、月食の館や天空離宮できみと再会したときは、つい意地悪を言ってしまったけれど……。
 まあ、お互いさまだよね。ああなってわかったけれど、きみだって俺の前では虚勢を張っていた。きみは俺を愛したかったし、俺はきみに愛されたかった。認めるのは癪だけれどね。だが、一度壊れて、癪だと感じる思考すら失くしたおかげで、俺は俺を撫でるきみの手を得たわけだ。
 きみの愛はとても心地がいい。俺が昔の思考回路を取り戻した頃には、俺はきみの愛にすっかり馴染んでしまっていた。きみが俺を惜しんだように、俺も俺が惜しかった。きみが愛おしむ、きみが手を差し伸べる、きみが優しく撫でる、素直でかわいいきみのムル。
 これからもきみの膝で可愛がっておくれ、だなんて、きみの好敵手のムル・ハートには言えやしない。
 だから、まあ、つまり、……そういうことさ。ねえ、シャイロック、怒った? 怒ってる? にゃーんって鳴けばいいかな? 宙返りをして、空をありったけの花火で埋め尽くそうか。それともきみに似合う宝石を? あるいは、いつかのように部屋いっぱいの花を贈ればいい?
 笑ってよ。俺のこと撫でて。
 ううん、怒ってもいいよ。きみが俺にだけ見せるその顔も、とびきりきれいだから。
 ねえ。
 ねえ、シャイロック……。
 シャイロック――。
 つめたい石になっても美しいなんて、罪な男だね、シャイロック。
 我が無二の友、シャイロック・ベネット。
 きみみたいなひとは、世界のどこにもいない。

 大好きだよ。