呪いの子よ(未完)

 生まれたときから、ひとりだった。

 戦乱の時代だった。軍事大国と呼ばれながらも周辺諸国との小競り合いは絶えず、父王は戦場と王都を行ったり来たりしながら政治と軍事に辣腕を振るった。王妃であった母はしばしば、乳飲み子を抱えながら不在の父の名代として閣議に参加したという。俺はそんな国の世継ぎとして生を受け、物心つく前から政治学と兵法、剣技を叩き込まれて育った。
 戦場で父が斃れたのは十三の歳だ。すぐさま俺は即位し、外祖父が摂政としてついた。世継ぎとなり得る王家の男子が俺ひとりであったことは、ある意味では幸いだったのだろう。派閥争いが生じる余地はなく、父の臣下たちは俺に忠誠を誓い、戦争は続行された。
 国民に慕われた王を失ったゴウトの弱体化を敵は予想しただろうが、むしろ偉大な王の仇を取るべく、将から一兵卒に至るまで戦意は昂揚し、最終的にはほぼ完勝という結果となった。
 コノエが近習としてつけられたのはこの頃だ。年頃の近い、忠実かつ気さくな騎士は、王の責務を背負った俺をよく支えてくれた。
 それでも、ひとりだ。俺と立場を同じくする者は誰もいない。誰もが俺を敬い、俺の前に膝をつき、俺の決断を重んじた。摂政たる祖父や皇太后となった母、父の腹心であった宰相らは、俺を甘やかしはしなかった。知識も経験も足りない俺を補い、さまざまに手ほどきをし、導いてくれはしたが、王としての最終判断は、常に俺に委ねられていた。
 俺は臣下に恵まれていたと言っていいのだろう。他国であれば、あるいは別の時代であれば、未熟さを理由に政から追い出されてもおかしくなかった状況で、俺は即位したその日から真にゴウトの王だった。
 誇らしく――それ以上に恐ろしい日々だった。
 俺は英雄であらねばならない。そして正しくあらねばならない。勇敢で、慈悲深く、賢明な、ゴウトの無二の王でなければならない。それが俺を盛り立ててくれる忠実な家臣ら、俺に剣を捧げて戦場を駆けてくれる兵ら、俺を愛し敬ってくれる国民らに、俺が返せる全てだった。
 俺は全身全霊で王の務めを果たし、僅かな余暇を勉学と鍛錬に費やした。時間はいくらあっても足りなかった。先王の命と引き換えに手に入れた平和も長くは続かず、俺が十七になるやならずで再び戦端は開かれた。
 軍事国家ゴウトの王として俺は戦場に立ち、自ら武器を取り敵と対峙した。俺の背中はコノエが守ってくれた。初陣は上々だったが、誰一人死なない戦争などはない。磨き抜かれた武具は血にまみれ、俺の手には人の肉を切り裂く感触が残った。
 ゴウトに若き英雄王カバネが誕生した日だった。
 俺が、人を殺した記念日だ。

 遙か西に興ったナーヴという小国は、わずか数年の間に恐るべき勢いで周辺諸国を平らげ、領土を拡大しながら東進を続けていた。その軍の異様さが耳に入り始めたのは、俺が成人を迎えた頃だ。
 かの国に刃向かう者には、死の呪いが降りかかるのだという。
 呪術自体は珍しいものではない。ゴウトの王は祭祀を司る長でもある。豊作を神に祈り、水が涸れれば雨を乞い、雲に閉ざされれば陽光を乞うのは、王の重要な役目のひとつだ。
 だが、伝え聞いた内容を信じるならば、ナーヴの呪術のもたらす死はあまりにも唐突で、容赦も見境もなかった。交渉の使者は帰還せず、敵対した軍は進軍途中に壊滅し、都市国家ひとつがまるごと死に絶えたこともあるのだという。女子供も老人も含めた、住民のすべてがだ。それはもはや戦争ではなく、一方的な虐殺だった。
 ナーヴのありようは不気味で不可解で、これまで対峙してきた周辺国とは、まったく違った。関わらずに済ませられたならば、どれほど良かっただろう。しかし、他国を飲み込み拡大を続けるナーヴと、東の大国たる我がゴウトが激突するのは、もはや時間の問題と思われた。
 強力な呪いには、それだけの対価が必要だ。ナーヴは一体、呪いの代償に何を差し出しているのか――探索のために放った間諜のほとんどは帰還しなかったが、わずかな生き残りの持ち帰った情報により、驚くべき事実が判明した。
 赤子のうちに呪術を埋め込まれた子供の、命そのもの、心そのものが、ナーヴの呪いの贄だった。呪われた子供はそこにいるだけで周囲の人間の身体を蝕み、その子供の苦痛や煩悶や嘆きが、呪いを何倍にも増幅する。
 呪いの子は、ナーヴでは勝利をもたらす“天子”と呼ばれていた。皮肉な名だ。麗々しく重たげな衣装を纏い、豪奢な離宮に住まう子供。幾重にも重ねた布の下に傷だらけの肌があるなどと、ナーヴの国民は想像もしなかっただろう。
 荘厳な監獄に閉じ込められた子供は、時折、ひそやかに戦場に連れ出される。
 首に禍々しい印を刻んだ男に鞭打たれ、子供が悲鳴を上げた瞬間、ばたばたと周囲の人間が血を吐いて次々に倒れ伏したのだと、遠眼鏡でその様子を見た男は語り、血の混じった咳をした。
 ナーヴの呪いの全貌を解き明かしたとき、俺は酷く激昂したものだ。かの国のやりようは、あまりにも非道で、人として赦される領域をはるかに踏み越えている。無差別の殺戮自体がまずもって許しがたい行為だが、生まれながらに呪いを背負わされ、呪いの発動のために暴力をその身に受け、生涯を兵器として使役される子供のことも、哀れでならなかった。
 ――思えばこのとき、俺は顔も知らぬ呪いの子に、己を重ねて見ていたのだろう。

 少数精鋭を率いて極秘裏にナーヴ王都に乗り込み、天子を奪い去る。
 御前会議で俺はそう告げ、すべての反対を蹴散らして計画を推し進めた。
 ナーヴとの全面対決が迫る中、呪いの天子の存在は最大の懸案事項だ。無力化できるならばそれに越したことはない。しかし、国王である俺が他国に侵入し、死をもたらす呪いの子に接近するなど、正気の沙汰とはとても言えない。俺とて理解してはいたが、どうしてもこればかりは譲れなかった。生涯ただ一度の我儘だと、臣下に頭を下げすらした。
 軍国の長として日々磨いた俺の武技は冴え渡り、この頃には誰と勝負しても負け知らずだった。命の軽重を問わずに技量だけで見るならば、潜入部隊の生還確率を最大まで引き上げられる適任者が俺であることに間違いはなかった。
 そして、首尾良く侵入を果たしたとしても、土壇場で死を怖れ、呪いの子の手を取る勇気を失えば、計画は水泡に帰す。誰よりも強い動機を持つ俺自身が、その役割に相応しかった。天子がナーヴの手にある限りゴウトの敗戦は濃厚で、そうなればどの道、国王たる俺が生き延びられる筈もない。
 まずなにより俺自身が、居ても立ってもいられなかった。
 このような非道を捨て置けるものか、そなたらの助力がなくば単身でも行く、王位を投げ捨てようと構わない――頑として言い募る俺に、周囲も渋々折れた。
『カバネ様の正義感には敵いませんや』
 苦笑したコノエのその顔を覚えている。
 あれが正義感というものだったのか、今はもう、よくわからない。

 豪奢な白い牢獄にぽつんと座っていた子供は、名を問うとクオンと答えた。俺の差し伸べた手をまじまじと見つめ、ぽろりと一筋の涙をこぼし、それから、驚くべき精神力でその涙を止めた。
 表情の乏しさも、緩慢な動きも、心を揺らさずにいるために身につけたものだったのだろう。人を殺す兵器として生を享けてなお、クオンは心の優しい子供だった。その事実が、あまりに哀れだった。
「俺の名はカバネ」
 呪いの天子はそこにいるだけで死病を振り撒き、天子の心が波立つほどその威力は増すという。調査で得た情報通り、内臓を直に握られるような苦痛は、立ち上がった子供が後ずさるのと同時に一段強くなる。
 全身を苛む痛みに耐え、俺はクオンに笑いかけた。
「おまえを奪いに来た。ここから、救い出してやる」
 だめ、と呟いて、子供はふるりと首を振る。
「僕に近づくと、キミが死んでしまうよ」
「死ぬものか」
「そんなこと……」
 口では否定を紡ぎながら、大きな紅玉の瞳が縋るように俺を見上げる。
 いっそう強さを増した痛みをはねのけるように、俺は声を張り上げた。
「――俺と来い、クオン! もう誰も殺したくないのならば!!」
 びくりと肩を跳ね上げたクオンは、長い逡巡の果てに、こくりと小さく頷いた。俺の手に重なったのは、骨張ってかさついた、小さな手だった。

 高貴な虜囚の牢獄は地下深くか高い塔の上と相場が決まっている。クオンが閉じ込められていた場所は後者だった。見た目よりはるかに軽いクオンを外套にくるんで抱きかかえ、一本のロープだけを頼りに宙へと身を躍らせる。
 その瞬間、場違いな快哉を叫びたいような気分になった。
 国王の身で敵国の王都深くに潜入し、腕の中の子供の振りまく呪いによって肉体は刻々と蝕まれ続けている。一歩でも踏み外せば臣民もろとも奈落の底の綱渡り、失敗のできない重圧に押しつぶされそうなのに、どうしようもなく胸が高鳴った。
 まるで、物語の主人公のようじゃないか。
 百年先の吟遊詩人が、俺の偉業を歌うだろう。ゴウトの若き英雄王カバネ、哀れな呪いの子を自ら助け出し、邪悪な敵を討ち果たす――
 そんな未来図を無邪気に描いてしまうほどに、その夜の俺は幼く愚かで、そして希望に満ちていたのだ。

 都の外れに隠しておいた愛馬に飛び乗り、単騎でひた走る。追っ手が放たれた場合はコノエたちが食い止めてくれる手筈だった。選び抜いた手勢は少数なれど、いずれもゴウトの誇る一騎当千の勇士、命まで落とすことはないと信じた。
 見境ない殺戮を繰り返しながら急速に国土を拡大するナーヴは、それ故に国境の守りが手薄だった。馬の足が鈍るたびに街道に待機させていた替え馬を使い、東へ東へひたすら駆けて一昼夜。夜陰に乗じ、川を騎馬のまま渡ってから、来た道を振り返る。追っ手の気配はなかった。ようやく足を緩め、なだらかな峠道へと馬首を向けた。
 馬上で二度目の夜明けを迎えたのは、ちょうど峠の天辺にさしかかった頃だ。
「見ろ、クオン。これが、我がゴウトの国だ」
 俺の胸元にしがみついていたクオンの背を叩き、深く被せていた頭巾を下ろしてやる。クオンはおそるおそるといった様子で顔を上げると、俺の指の示す方へ首を巡らせた。
 青々とした牧草地には馬や羊がのんびりと草を食み、畑には収穫を待つ黄金色が揺れる。野良仕事に出てきたのだろう農夫が、俺を見つけてにこやかに手を振った。よく整備された街道の先には石造りの城壁と城門。居並ぶ城下の建物のさらに遙か向こう、小高い丘の上には、頑丈なつくりの王城がそびえ立つ。
 俺が生まれ、育ち、愛し、背負った、美しきゴウト。
 眼下に広がる光景にクオンは目を輝かせた。昇ったばかりの朝日が、炎のような色の髪を明るく透かしている。
「きれい……」
 クオンの唇からこぼれた素朴な賛辞に、胸がくすぐったいような気持ちになった。
 腕の中で、クオンが身体をひねって俺を振り返る。陽光を浴びて宝石のようにきらめくふたつの紅い瞳が、まっすぐに俺を見上げた。
「こんなにきれいなものを見たのは、生まれて初めてだよ」
 カバネ、と、涼やかな声が呼ぶ。
「僕を助けてくれて、ありがとう」
 それは俺が初めて目にした、クオンの笑顔だった。

(続く)
 

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