最後の子ども

 わたしはその国の、最後の子どもだった。

 *

 太陽というものを、わたしは言葉でしか知らない。それは頭上にあって、わたしたちを照らすまばゆい光なのだという。
 わたしたちが暮らす場所にも、わずかながら外界の光が差し込む場所はあった。その光のみなもとこそが太陽で、それがあるからわたしたちはかろうじて生きていられるのだと教わった。
 けれど、本で読んだり、年かさの人々が語ってくれた、あまねく世を照らす太陽というものと、その弱々しい光はあまりにも違う。だからわたしは、本当の太陽を知らない。
 知らないまま育って、知らないまま、もうすぐ死んでいく。

 わたしが生まれる前、ゴウトの民は地上に暮らしていたらしい。けれど、ある日恐ろしいことがあって、一夜にして都市国家ゴウトの民のほとんどは死に絶えた。生き延びたのは、その日ゴウトの国を離れていた者だけだった。その数は、およそ百ほどだ。
 国外に出たり、国境を守るというのは、おおむね、働き盛りの男がやる仕事だったから、その日を境にゴウトからは女性や子どもや老人がほとんどいなくなってしまった。私の両親は、その数少ない例外だ。商売人であった母方の祖父は、妻子を連れて物見遊山がてら他国に買い付けに出かけていた折で、一家揃って難を逃れたのだそうだ。いっぽう孤児であった父は、その頃兵士を志し、国境警備隊の門を叩いた少年だった。そんな風に死を免れた子どもや若者は、残念ながら、ほんのひと握りだったけれど。
 大人の男ばかりが多数を占め、近い年齢の子どもがほとんどいない暮らしで、父と母は寄り添って育ち、長じて夫婦となって、わたしという子を設けた。
 わたしはこの地でうまれた、五人目の――そして最後の子どもだ。

 わたしが物心ついた頃には、療養所と呼ばれる建物に大勢の老人が暮らしていた。思うように動けない彼らに食事を運び、身体を拭いてやるのは、幼いわたしの仕事のひとつだった。
 それも、短い期間のことだ。老人たちはどんどん死んでいき、若者の数は足りない。私が大人になる頃には、ゴウトの民の生き残りはほんのわずかな人数になっていた。
 わたしには、母にとっての父のような人はいなかった。一番年が近かった男の子は十になる前に病気で逝き、次に年が近い人でも、わたしより十五歳上だった。それでもわたしたちを結びつけたがった大人はいたけれど、わたしは彼とたくさん話をして、彼とは結婚しないと決めた。
 少なくない人数が残念がった。けれど、わたしが子を設けてなんになるというのだろう。わたしたちは滅びる民なのだ。

 ……いいえ。
 そんなのは、表向きの言い訳。

 本当のことを言ってしまえば、わたしはただの、浅ましい女なのだ。
 わたしは、カバネ様に看取られる、最後の民になりたかった。

 太陽を知らないわたしにとって、まばゆい光とはカバネ様のことだ。永遠に変わらないすぐれたお姿の、優しく、強く、気高い、わたしたちの王様――カバネ様。
 クオン様とコノエ様というおふたりも、同じように永遠を生きながら、わたしたちを気遣ってくださる、優しい方々だ。それでもわたしたちにとっては、カバネ様こそが唯一無二の王で、英雄で、神様だった。
 カバネ様は毎日ゴウトの全員と話をした。手を握り、子どもであれば頭を撫で、目を合わせて、勇気づけ、労い、涙をぬぐい、あるいはただ無言で寄り添ってくれた。民を集めて、ゴウトに伝わる物語を語ってくれることもあった。
 ゴウトの民が死ぬとき、その枕辺には必ずカバネ様の姿があった。穴を掘り、遺体を埋めて墓を建てるのもカバネ様だった。コノエ様の差し伸べた手をカバネ様が断るところを何度か見たことがある。これは王の仕事だと、カバネ様は必ずそう言うのだ。悲しげに微笑んで。
 ゴウトの民は皆、ゴウトがなぜ滅びたかを知っている。
 幼い頃からずっと、カバネ様に聞こえないところで、大人たちはわたしに言い聞かせてきた。カバネ様を恨んではいけない。憎むべきは悪逆非道のナーヴであり、嘆くべきはままならぬ運命だ。わたしたちの結末はもう決まってしまった。だからせめて、カバネ様をこれ以上悲しませないように、笑って生きていこうと。
 わたしたちが一人残らずいなくなっても、ゴウトの王であったことを、カバネ様が誇りに思って下さるように。
 それが、あの方を残して滅びゆく、わたしたちゴウトの民の、最後の誇りなのだと――。

 *

 わたしより年上の者がみな死んで、永遠を持たぬ人間がわたし一人となってからの日々を、どのように言い表せばいいだろう。
 幸福でなかった、と言うのはあまりにも不誠実だ。カバネ様がわたしだけのために微笑み、わたしだけのために歴史をひもとき、わたしだけのために歌を歌った日々……。
 カバネ様にとってわたしが特別だったのは、わたしが、最後のゴウトであったから、理由はそれだけだ。だからわたしは、最後の子どものままでいたかった。
 わたしより先に死んでいったひとたちは、怒るだろうか。……いいえ、きっと喜んでくれているだろう。
 どんなに浅ましいわたしでも、ゴウトであるわたしが不幸せな顔をすれば、カバネ様は悲しむのだから。
 
 *

 カバネ様が優しくわたしの名を呼び、わたしは重いまぶたを持ち上げる。
 昔からずっとずっと変わらない美しいひとが、わたしに微笑みかけ、皺だらけのわたしの手をそっとさすった。
 お別れですね、と、わたしは囁いた。ああ、うまく笑えていただろうか。
「カバネ様……」
 ゆっくり、ゆっくり、わたしは唇を動かした。もうほとんど音にならない言葉が、それでも、このひとの耳に届くように。
「わたしを、……わたしたちを、どうか、……覚えていて」
 カバネ様は静かに頷いた。その目からひとすじの涙が零れて、なめらかな頬を伝う。
 太陽の光があったならと、初めて思った。すべてを照らす強い光のもとでなら、わたしのために流された涙の美しいきらめきを、もっとはっきりと目に焼き付けられたのだろうに。

 ああ、カバネ様。カバネ様……。
 優しく、強く、気高く、美しく、おかわいそうな、わたしたちのたったひとりの王様。
 叶うならずっと、おそばにいてさしあげたかった。
 わたしの存在そのものが、わたしの孤独そのものが、あなたに罪を刻む烙印であり続けたと知っていても、――それでも。

 優しい闇がわたしを攫っていく。
 わたしの手を握るあなたの手が震えている。
 ああ、カバネ様。にくらしい、いとしきひと。

 昏い永遠をさまようあなたの道の先に、いつか、まばゆい光が差し込みますように――