あなたにかわいいなんて

「そういえばさぁ」
 手元の携帯電話をいじりながら、陸がふと思い出したように呟いた。
 一時期陸に課していたSNS禁止令を解禁してから、もうずいぶん経っている。大人になってネガティブな評価とのつきあい方を覚えた陸は、一織の想像していた以上にファンとの直接交流が巧かった。どうしても堅苦しくなりがちな一織よりよほど柔軟に、親近感を持たせるツールとして使いこなしている。飾らない、自然体の言葉をファンにそのまま届けられる媒体が、陸には向いているのだろう。
「MEZZO”がデビューしたとき、Re:vale方面に売り方寄せたじゃん。あれってやっぱり一織の入れ知恵?」
「なんですかその言い方、人聞きの悪い。――そうですよ、需要と供給です。マネージャーはあまりそういった方面の素養がなかったようですが、『恋愛関係にも見えるほど距離の近い男性コンビ』をお好きな女性は世に多いですからね。しかもそういった嗜好の層は、SNSで積極的に宣伝・共有したがる傾向も強い。新人アイドルの知名度を短期間で上げるのにうってつけです。年下で奔放な四葉さんと、年上で品のいい逢坂さんはビジュアルやキャラクターの相性も非常に良かったですし、Re:valeの力関係とも異なりますから、二番煎じの謗りを受けることもない。実際に人気が出たでしょう?」
 ソファの隣に座った一織が、積み上げた芸能誌をめくりながらすらすらと応じた。
「やっぱりそうかー。あの頃の環と壮五さん、実際はめちゃめちゃギスギス? ギクシャク? してたけどな!」
「ぎこちない雰囲気が出てしまうところも、初々しくていいと受けていましたから、結果オーライですね。それに売り出しのイメージと内実が違うなんて、ありふれた話じゃないですか。『現代の天使』の弟さん」
「天にぃは中身も天使だってば。――じゃなくて、オレが一織に聞きたいのはさぁ」
 一織の顔を覗き込むようにしながら、陸がひらひらと振ってみせるスマートフォンには、先日公開された新曲のMV内のワンショットが表示されている。
 正確にはMVの一場面のスクリーンショットを添えた、ファンによるラビッターへの投稿だ。陸が一織の肩を抱き寄せ、頬を寄せ合って微笑んだ二人の顔がアップで映っている。はにかむような微笑みは、「クールでシャープな美青年」を売りにする一織には珍しい表情で、MVの公開直後からずいぶんと話題になっていた。一織に寄り添う陸の、笑みを浮かべながらもきりりと凜々しい表情との対比も含めて目新しいのだろう。ずいぶんと興奮したコメントがつけられたそのファンの投稿も、現在進行形で相当に拡散されているようだ。
 自然な表情の、仲の良いIDOLiSH7というのが今回のMV撮影のコンセプトだ。一つ前の曲が物語調に作り込んだ映像だったから、それとのギャップは狙いのひとつだったし、成功していると言えるだろう。映像を見るたびに感じる気恥ずかしさは一織個人の問題で、プロモーション戦略を覆すほどのものではない。
 陸は画面にちらりと目をやって頬を緩めると、ほら、と指で画面の中の一織の鼻をつつく。
「オレと一織にも最初からこういう需要あったの、一織なら知ってたんじゃないの? って話」
「は……」
「自覚したの、オレは最近だけどさ。思えば、メジャーデビュー前からオレたちコンビでファンサイトまで作られてたもんな。オレ宛てのファンレターにも一織の名前たくさん出てきたし。一織が気づいてないわけないじゃん。そのわりに、オレとのユニットとかコンビ扱いとか、やたら嫌がってたの、なんで? 敏腕プロデューサーの和泉一織さん」
「…………」
「あ、照れてる」
 思わず一織が口元に寄せた右のこぶしをつついて、陸がクスクス笑う。
 一織は陸をじろりと睨みつけると、めくる手のすっかり止まっていた雑誌を閉じた。ソファの背もたれに沈み込みながら天を仰ぎ、大きく息をつく。
「もう……、ここまで気づかず来たんだから、一生気づかないでいて下さいよ……」
「ええ~? なになに、超気になる」
「……あのね七瀬さん。私、それなりに繊細な子どもだったんです。片思いの人と仕事で表面だけいちゃつけるほど神経太くなかったんです」
 天井を見上げたまま、視線だけをちらりと陸へ投げる。控えめな色気を帯びた流し目は、この数年ですっかりものにした、一織の得意技だ。
「え」
 陸がどんぐりまなこを更に大きく見開いて、ぱちぱちと瞬きをした。
「ちょっと待って。うそ、そんな前から?」
「大変遺憾ながら、そうですよ。……なのに人の気も知らないで、あの無茶ぶり敏腕マネージャーときたら。ええ、ええ、たいへん需要ありましたよ、みなさま大変お喜びくださいましたとも! 今だから言いますけど、『Fly away!』の歌詞なんて、本当に、どんな拷問かと」
「わお……」
 また天井に視線を戻した一織の横顔を、陸はまじまじと見つめる。
 陸と一織がいわゆる「お付き合い」を始めたのは、一織が成人した後のことだ。陸のしつこいアタックに一織が(すったもんだの末に)応えた形だった。
 一織も前から陸に対して恋愛感情を抱いていたとは、確かにその折に聞かせてくれていたけれど。それにしたって、初めてのユニット曲というならデビュー直後、まだ出会って一年も経たない頃だ。
「もー、一織の馬鹿! ツンデレ! 言ってくれればよかったのに~!」
「言えるわけがないでしょう。あんなに喧嘩ばかりしていたっていうのに、もう忘れたんですか」
「忘れるわけないじゃん、喧嘩するたんびにやっぱり一織好きだなあ仲直りしたいなあって思ってたもん」
「っ、……前から思ってたんですけど、あなたときどき他人に対してポジティブすぎません? 私は喧嘩するたびにああもうだめだすっかり嫌われてしまったって凹みまくりでしたけど!?」
「一織が素直だ……」
「やかましい」
 閉じた雑誌でぺしりと陸をはたいて、一織は真っ赤な顔をぷいと背ける。あーもー、可愛いな一織! と弾んだ声を上げながら、陸は最愛の恋人に思い切りタックルをかけた。
「ちょっと!」
「エヘヘ」
 きつい声の抗議もものともせず、さらさらの黒髪を撫で回す。
「可愛い~オレの彼氏がめちゃくちゃかわいい~!」
「…………『あなたに可愛いなんて』」
 一織のつんと尖った唇から転がり出たのは、彼が『拷問』と評した曲の歌詞のワンフレーズだ。
 色違いのお揃い衣装、腕を絡めた決めポーズ、ポップな曲調と、掛け合いの歌詞。その全てにぶつぶつと文句を付けていた十七歳の一織の、桜色に染まった頬を、陸は思い出す。ユニットを組むにあたってはマネージャーまで巻き込んだ恥ずかしいひと悶着があって、最終的には一織も楽しげに笑って歌ってくれるようになった曲だけれど、――内心でそんな葛藤を抱えていただなんて。
 くすりと笑って、陸は歌詞の続きを、一織の耳元に囁きかけた。
「『思われなくても』……イイ? 一織?」
「っ」
 びくんとわかりやすく一織の身体が跳ねる。一織はいまだに極度のくすぐったがりやで、中でも耳が一番の弱点だ。誰かが何気なく触れただけでも悲鳴があがる。ましてや一織が愛してやまない陸の声になんて、弱いに決まっているのだ。濫用しすぎてたまに陸が本気で怒られるくらいに。
 腕の中できゅうっと縮こまった一織が、しばらくしてもぞりと動いた。開き直った表情で、陸を見上げる。
「……いやです。かわいいって言って」
「――――っ!!」
 頬から火を噴かせたのは、今度は陸の方だ。
「……あざとい! ずるい!」
 大人になった陸がたくましくなったように、一織も年齢を重ねてしなやかになった。北風と太陽の逸話のように、陸が、そして仲間たちが注いだあたたかな愛情が、一織の被っていた固い殻を少しずつ剥がしていったのだ。
 いまの一織は、冬を乗り越え、春を迎えて芽吹いた若木のようだ。初夏の薫風にふくらみかけたつぼみを揺らして、いっせいに花開く日を今か今かと待っている。陸はその日が楽しみで、少しだけ心配だ。
 ふふん、と上機嫌に笑って、一織はすぐ目の前の恋人の唇に、かすめるように口づける。
「お褒めにあずかり光栄です」
「くそ、大人になっちゃって……十七歳の一織はあんなに初々しいツンデレだったのに……」
「初々しくない私はお気に召しませんか?」
「まさか!」
 即座に否定した陸は再び一織に抱きつくと、締まりなく緩んだ頬を一織のそれにすり寄せる。
「可愛くてかっこよくて素直で色っぽくて最高!」
「それはどうも」
「というわけで大手を振ってイチャイチャ営業しよう!」
「はい?」
「ていっ」
 すっ、パシャ、トトトトト、シュッ。
 流れるような動作で携帯を構え自撮りしテキストを入力してラビッターに投下する。
 うわあ、と一織がアイドルにあるまじき表情を浮かべ、陸の手から端末を取り上げて画面をスクロールした。
『今日は久々に一織とオフ!』
 その一文とともに投稿された写真の中で、楽しげに笑った陸と、きょとんと画面を見つめる一織が頬を寄せ合っている。狙ったのか偶然か、話題になっているMVのシーンとよく似た構図だ。
 眺めている短い時間にも、写真はえげつないスピードで拡散され続け、リプライの数字もリアルタイムで増えていく。意味をなさない奇声めいた文字列に、ハートマークの乱舞、仲がいいだのお幸せにだの匂わせだの、いつも以上に賑やかだ。交流のある芸能人の公式アカウントからもいくつか通知が届く。先日陸が共演した大物女優が楽しげなコメント付きで拡散したところまで見届けて、一織はようやく端末を陸の手に返却した。
「……あなたねぇ……」
「だめだった? みんな喜ぶと思ったんだけど」
 深い深いため息をついた一織に顔を寄せ、陸が上目遣いに問いかける。んっ、と一織は咳払いをひとつして、こみ上げる衝動をやり過ごした。
「残念ながら大正解ですけど……あなた最近、外堀埋めにかかってません……?」
「あ、バレてた」
 肩をすくめた陸がペロリと舌を出す。はたちをとうに過ぎた男のくせにこんな仕草がナチュラルに似合うのだから困ったものだ――正直なところ、これっぽっちも困ってなんかいないのだけれども。アイドルグループのセンターとしても、一織の恋人としても、かわいい仕草の似合うかわいい男など最高でしかない。
「本当のことを言うとさ。今すぐは無理かもだけど、オレは、いつかちゃんと公表したいな。営業とかじゃなくて、オレと一織は恋人同士だから仲良しなんですって言いたい。……一織は反対?」
「…………」
「あ、意外。『駄目に決まっているでしょう!』って怒るかと思ってた」
「あなたねぇ」
 聞いておきながらその態度はなんです、と小言を繰り出しつつ、一織は生真面目な顔で指をぴんと立てる。
「あなたの言うとおり、今すぐには難しいですが……。頭ごなしに反対するつもりもありませんよ。パートナーシップ制度は広がりを見せていますし、法改正の動きもありますからね。当事者として新しい価値観の後押しをするのは、IDOLiSH7というアイドルグループのイメージにも沿います。我々もそろそろ二十代後半ですし、いつまでも若い女性の疑似恋愛ターゲットのポジションにあぐらをかいていては、台頭してくる若いグループに太刀打ちできなくなりますから」
「理由に愛と色気がない!」
「建設的と言ってくださいよ。まあ、なんにせよ、」
 伸ばしたままの一織の指先が、陸の左サイドの髪を絡め取る。そのまま引っ張られて、陸は素直に顔を近づけた。鼻の先が一織のそれと触れあう。相手の輪郭が曖昧になって、吐息のかかる距離。目の中にはお互いの色が映っている。十代の頃の二人なら、とっくにどちらかが照れて視線を逸らしてしまっていただろう。
「世間に宣言する前に、まずはあなたのお兄様にご挨拶に行かないと。リークがあのひとに届いて、私が八つ裂きにされる前にね」
「天にぃはそんなことしないってば」
「はいはい。まあ、その件は後ほど考えるとして」
「して?」
 ポケットから引っ張り出した端末を陸のそれとひとまとめに遠くに押しやり、一織は陸の頬に手を添える。
「そろそろ営業じゃないイチャイチャ、しませんか」
「賛成!」
 嬉々として覆い被さった陸の後頭部に、一織の腕がしっかりと回る。
 ――恋人たちのオフは、まだしばらくは終わらない。