「かんぱーい!」
口々に言い合って、掲げた缶をぶつける。ビールと甘いチューハイと、ちょっと度数の高いやつも。それぞれ自分の好きなものを好きなペースで飲むのが、結局一番楽しい。
なんだかんだとメンバーみんな居座ったままの小鳥遊寮のリビングで、全員参加の飲み会が開催されるようになってそろそろ半年だ。一番最後に成人した環は、高校を卒業するころまで、お酒は絶対に飲まないと言い張っていた。だけど、オレたちが身を置く芸能界という世界では、お酒も仕事の延長のようなものだ。百さんの武勇伝に並ぶのは無理でも、適度にお酒が飲めないと、特に男は色々と難しい。ようやく大人になったのだから、壮五さん一人に引き受けさせないと言い切った環はものすごく男前だったし、環がなぜお酒を嫌うか知っていたオレたちは、環のいないところでこっそり泣いた。壮五さんの号泣ぶりは、大和さんのスマホにこっそり保存されている。
幸いなことに環はお酒にかなり強い体質だったようで、弱いのをちびちび舐めていれば、ほとんど酔いもしないらしい。
そして、その環より数ヶ月早く飲酒が解禁された一織はと言うと――
「ななせさん」
左腕がふわりとあったかくなって、オレの頬はどうしようもなく緩んでしまう。テーブルを挟んだ向かい側で大和さんがくつくつ笑ってるけど、不可抗力だと思うんだ。だって、こんなの。
「一織、お酒おいしい?」
「はぁい、おいしいです……」
ほっぺたを赤く染めた一織は、たどたどしい口調で返事して、オレの肩に頬をすり寄せる。
あの、一織が! 説教と小言がマシンガンみたいに飛び出してくる、あの和泉一織がだよ!
一織はお酒にすごく弱い。三月も弱いし、それはみんな予想していた。予想外だったのは、酔っ払った一織が、めちゃめちゃに甘えたになっちゃうことだ。
「一織一織、次なに飲む?」
「んー……りんごのおさけ、ください。あまいの」
「一織、酒ばっか飲むなよ、これも食え~」
「はい、ありがとうございます。にいさんのおとうふサラダ、だいすきです」
一織はにこにこ笑って、三月が取り分けたサラダの小鉢を両手で受け取る。んん~っ、と三月がジタバタして、うちの弟がかわいい! といつも通りに吠えた。
缶チューハイを半分飲んだくらいから一織はこんな感じで、ふわふわほわほわ、周囲にお花が飛んでるみたいな、かわいいかわいい一織になる。三月曰く、小学校低学年のころの一織っぽいらしい。子供がえりというと壮五さんもそうだけど、酔っ払った壮五さんがわりとワガママっていうか、周囲にあれこれおねだりする甘え方なのとは違って、一織はぴったりくっついてきて、構ってもらうのを待っている甘え方だ。お酒のリクエストを聞いたり、食べ物を取り分けてやったり、頭を撫でてやったりすると、すっごく嬉しそうにする。
普段の一織は年下なのに世話焼きのしっかり者で、一人でなんでもできちゃうし、あまり他人に構われたがらない。肌を見せるのも嫌がるし、スキンシップも苦手だ。そんな一織が素直に世話を焼かれて喜んでいるのがもうほんとかわいすぎて、飲み会になると年上のメンバーはいつも競争するみたいにして一織に構うんだ。
それから、
「ななせさん、」
「ん、なぁに、一織」
「今日の収録、とっても、よかったです。わたし、ななせさんのうたが、世界でいちばん、すきです」
極めつけは、これ。
一織がオレの歌を好きでいてくれることは知ってる。でも、こんなにストレートに、幸せそうに、大好きって気持ちをちっとも隠さず伝えてくれるのは、酔っ払ってるときだけだ。
採点の厳しい普段の一織が、高く評価する言葉をくれるのも、もちろん嬉しい。だけど、『好き』っていう言葉は、やっぱり特別だ。
胸がいっぱいになって、まるでライブの最高潮みたいに、オレは一織をぎゅっとハグした。一織ほどじゃないけど、オレだって酔っ払いだから、気持ちはすぐに溢れて行動に出てきちゃう。
腕の中の一織の身体はほかほか温かくて、生きてるって感じがした。トクトク伝わる心音は、お酒のせいか少し速い。
「えへへ、ありがとな! 一織がオレに期待して、後ろで支えててくれるから、オレ、いつも全力で歌えるよ」
「ほんとうですか? うれしい……」
おずおずとオレに応えて背中に腕を回す一織の、指先の熱をシャツ越しに感じる。きもちいい。ひとの体温はいつもオレに安心をくれるけど、一織のそれは格別だなと、毎回思う。ときどきしかくれない、貴重なものだからだろうか。それとも。
べったりくっつくオレたちに向かって、ヒューヒュー、なんてベタな冷やかしの声を投げるのは大和さんだ。指笛を吹くのがナギ。壮五さんはいつも通り環に絡んでいて、環は呆れた(けど満更でもない)声をあげながら相手をしている。三月がぺしぺしと自分の太腿を叩きながら、一織を呼んだ。にいちゃんにもハグ! だって。三月もだいぶ酔っ払ってきてるかな。
「いまオレのだもん」
一織に抱きついたまま、べ、って舌を出したら、なんだと~!? と腕まくり。
「だーめ、一織はずーっとオレの弟!」
「でもオレの相棒だもん、あげないもん」
「おいでおいで一織~、にいちゃんがなでなでしてやるからな~」
あっ、だめだ。オレの中で一織がもぞもぞ動いて、困り切った下がり眉で見上げてくる。そんな顔されて、意地悪できるわけないじゃん……。
もう一度ぎゅっと抱きしめてからハグの腕を解くと、一織はオレと三月の顔を見比べてから、オレの左手の小指をきゅっと握った。そのまま膝でいざって三月に近寄って、足元になつく。
「にいさん」
「いおり~!」
三月がにぱーっと笑って、一織のさらさらの黒髪を両手で撫で回した。いつも寝癖ひとつない髪がぐちゃぐちゃに乱れて、でも一織は至福の表情でされるがまま。そのあいだも一織の右手はオレの小指を握ってて、宙ぶらりんのオレの手に、一織の体温を伝えてくる。
かわいいかわいい、酔っ払い一織。
一織が成人して最初に催された小鳥遊寮の飲み会で、一織がこの状態に突入したときには、全員そりゃあびっくりしたものだ。環や大和さんは爆笑していたし、オレや三月やナギや壮五さんは大喜びで構い倒したけど、翌朝になって青ざめた。一織のことだ、めちゃめちゃに拗ねるか、落ち込むか、激怒するかのどれかに違いない。へこみつつ逆ギレするやつかなぁ、お説教長引きそうだなぁ、なんてげっそりしながら部屋を訪ねると、困惑顔の一織はこめかみを押さえてこう言った。
――昨夜の記憶がほとんど無いんですけど……。私、なにかしましたか。
いたたまれなくて嘘をついてるのかなとも思ったけど、どうやら一織はお酒を飲んでからの行動をかけらも覚えていないようだった。何度飲み会を繰り返しても変わらない。壮五さんと同じで、豹変しているあいだの記憶はすっかりなくなるタイプらしい。
外での飲み会ではうまいこと飲む量をコントロールしてほろ酔い程度で抑えてるのは、相変わらずの優秀ぶりだ。でも仲間内だとガードが緩くなるし、かわいい一織が見たいみんな(オレも含めて)が積極的に飲ませたがるものだから、寮での飲み会はだいたい毎回この事態になってしまう。しばらくは覚えていないことを不安そうにしていたけれど、一織が記憶をなくすと知ってからはみんなも一織のこの甘ったれぶりを秘密にして、少し陽気になる程度ということにしているので(だって嫌がって飲まなくなっちゃったらつまらない!)不本意ながらも受け入れることにしたらしい。甘いタイプのお酒の味は好きみたいだし、仲間内の飲み会がグダグダになるのは昔からで、良くも悪くも慣れているからだろう。IDOLiSH7いちの堅物の一織だけど、そのあたりは昔よりはだいぶ柔軟になったみたいだ。
そんなこんなで、今夜もオレは一織の隣をしっかりキープして、貴重な甘ったれの年下を満喫中。三月にたっぷり撫でてもらって満足したんだろう、リスみたいにナッツ類をコリコリかじりながら、オレの肩にもたれてナギの長広舌――もちろん話題はまじこなだ――に耳を傾けている。
「そうです! イオリも同意してくださるでしょう、ここなは気高く尊い女性であると……!」
「ここなさん、ひらひらして、かわいいです」
「エクセレント! ここなのコスプレをしたイオリも愛らしかったですよ」
「わたしは、」
ふるふると首を振って、一織がしょんぼりと目を伏せる。
「かわいくないです。かわいいのは、にいさんとか、つむぎさんとか、ななせさんです。わたしは、かわいいは、にあいませんから……」
これにはむっと来た。
三月とマネージャーはともかく、なんでそこにオレを含めちゃうかなぁ!? とも思うけど、本題はそこじゃない。
「一織、」
強い口調で呼びながら肩を揺さぶる。一織は首をことりと傾けてオレを見た。
「一織はかわいいよ」
「かわいくなんて……」
「かわいいってば! 一織はスタイル良いし、格好いいし、きれいだけど、でもかわいいの! オレが保証する!」
「……………………」
ぱち、ぱち。緩慢な瞬きをして、疑り深いまなざしを一織はオレに向ける。オレもまっすぐ一織の目を見つめ返した。だって心の底からの本心だ、いくらだって疑ってくれていい。
たしかに一織の見た目は格好いいとか綺麗とか美人とかって形容が似合うけど、いまオレの目の前にいる、酔っ払って甘ったれの一織は文句なしにかわいいし、普段の一織だってかわいいんだ。相変わらずちっとも素直じゃないし生意気だし毒舌だしお説教は長いしでかわいくない年下だけど、でも、そういうところがかわいい。ひらひらの衣装や、たまにさせられる女装だって、一織は似合わないって言うし、たしかに三月みたいな全面キュートな感じにはならないけど、中性的で線の細い一織にはよく似合う。照れて恥じらう様子も新鮮でいいって毎回すっごく好評なのに、なんでこの話題だけこんなに頑ななんだろう。
嘘じゃないよ、一織。本当だよ。
一織はきょろきょろと視線をさまよわせる。一織と目のあった全員が、うんうんと勇気づけるように頷いた。大和さんが手を伸ばして一織の頭を撫で、膝枕で壮五さんを寝かせた環がニッと笑みを浮かべながら親指を立ててやる。
最後にもう一度オレと目を合わせた一織の表情が、ふいにほわりと柔らかくほどけた。目元を桜色に染め上げて、幸せそうに笑み崩れる。
「…………」
うれしい、と言うときのかたちに、一織の唇が小さく動いた。オレはなんだか胸が苦しくなって、一織の小さくて丸い頭を胸元に引き寄せる。抱え込んださらさらの黒髪に鼻先をこすりつけたら、ななせさん? と不思議そうに呼ばれた。
「いおり、」
「はい」
「一織……」
「はぁい」
くすくすと一織は笑い、オレの胸に耳をつけてオレの心臓の音に耳を澄ます。オレの鼓動も、たぶん、いつもより速い。
「ななせさんのうたみたい、」
調子っぱずれに最新曲を口ずさみ始めたから、オレも声を重ねて、そうしたらみんなも歌い出した。夜だし少し控えめの声量で、といってもみんな酔っ払いだからそれなりのボリュームで。ナギが防音リフォームしてくれててよかったね。
楽しい楽しい飲み会の夜は、そうやって今日も更けていく。