アイラブユーの伝え方

 ホットミルクをちびちび啜る夜、カーテンの隙間には、ぽっかりまるいお月様。
 ふといたずら心が芽生えて口を開こうとした一瞬前、一織が雑談の続きのようにぽろりと言った。
「そういえば、夏目漱石の例の逸話、後世の作り話なんだそうですね」
「えっ、そうなんだ!?」
「現国の授業でそんな話がありました。漱石の言葉としてすっかり有名になっていますが、少なくとも証拠となる記録などはないそうです」
「へえぇ……」
 なんてタイミングの悪さだろうと、ぴんと立てた人差し指がへにょりとお辞儀した。だって、まさにそのフレーズ使ってちょっと良い雰囲気作ろうとしたのにさ、なんだよ、一織ってほんと、人の出鼻を挫くの巧いんだ、か、ら……
 ……あれ?
「――ねえ一織」
「はい?」
 オレはにっこり笑って、もう一度指をまっすぐ伸ばし、ぴかぴか光るお月様を指差した。
「『月が綺麗ですね』!」
「……あなた、ひとの話聞いてました?」
「聞いてたよ! だって一織、たとえばそうだな、大和さんに、さっきみたいな話する?」
 首を傾げて見上げてやる。この角度が一織のお気に入りなのは知ってるんだぞ。
「一緒にいるのがオレだから、さっきの話したんだろ? 綺麗な月、隣で一緒に見て、同じこと連想するって知ってるから、あんな話しかたするんじゃんか」
 一織がぱちりとまばたきをして、それから、ふわぁっと頬を赤く染めた。
 ほらやっぱり、気づいてなかった。
「……っ、……!!」
 お決まりの、口元に手の甲を押しつけたポーズで、声にならない声をあげている。パーフェクト高校生って、誰だっけ?
 そういうとこ、ほんと、カワイイ。
「『一緒に歌って』」
 縮こまる一織ににじにじと寄っていって、ひときわ赤い耳元にそう囁きかける。一織は耳が特に弱いから、大げさな悲鳴を上げられた。でも駄目、そんな涙目で睨んだって、カワイイばっかりだ。
「オレならそう訳すなぁ。一織は?」
「知りません!」
「ええ~、聞きたい。教えて!」
「断固拒否します」
「やっぱり春のうさぎ?」
「っ、しつこいんですよ七瀬さんは!」
「番組のお題とかで言わされるかもしんないじゃん! 予習予習!」
「あなた宛ての言葉なんて番組の言えるわけないでしょう!? って、ああ、もう……!」
 喋れば喋るほど墓穴を掘って、頭を抱えてしまう、うぶでかわいい恋人にひっついて、ねえねえとねだり続ける。こういうときのしつこさには自信があるんだ。そんな自信今すぐ捨てろって怒られそうだけど。
 どれくらい経っただろうか、長々とため息をついた一織が、ようやく顔を上げた。
「……洒落たフレーズなんて言えませんよ」
「そんなの期待してないよ!」
 うっかり失言に一織は反射的にむっと眉を逆立てたけど、あわわって顔になったオレを見てぷっと吹き出した。
「えっと、ごめん……。あのさ、悪い意味じゃなくて、一織の言葉で聞きたいんだ」
「それくらいわかってますよ」
 澄んだ灰色の瞳が、じっとオレを見つめる。ふるえる息を吸い込んで、
「『いなくならないで』」
 小さな小さな声で伝えられた、一織のアイラブユー。
 まっすぐで長い睫毛が、そうっと伏せられる。
「――うん」
 約束みたいにかわしたキスを、お月様だけが見ていた。