夢の通い路

 最初のワンフレーズを歌い上げ、7つめのスポットライトがオレの視界をまばゆく染める直前に、オレの前でじっと下を向いていたはずの一織が、くるりと振り返るのが見えた。
 あの、真面目が服を着て歩いてるみたいな一織がだ。
 びっくりしたけど、でも、一織がそうするって、オレは心のどこかで知っていたような気もする。
 思えば最初のライブから、ステージに立って歌うオレに、誰よりも一番熱い視線を送ってくれていたのが一織だった。前は、ただ心配されているんだと思っていた。オレが弱っちくて頼りないから、オレがへまをしたらフォローできるように見張っているんだろうって。
 実際、そういうのもあるんだろうと思う。でも。
 ――私が一番、七瀬さんのボーカルが。
 いつもちっとも素直じゃないくせに、大勢の前で照れもせずに堂々とあんなことを言うんだから、一織って不思議なやつだ。いちばん大事なところでだけは、絶対に、オレがいちばんほしい言葉をくれる。
 必要だって言われたかった。
 期待してるって言われたかった。
 そして――好きだって、他の誰のでもない、オレの歌がいいんだって、言われたかったんだ。
 夢みたいだったライブが終わり、みんなで思い切り泣いて笑った打ち上げもお開きになって、すっかり寝静まった深夜の寮。オレは醒めやらぬ興奮で眠れないまま天井を見上げてる。一織に知られたら怒られるだろうけど、今夜はあいつだってきっととっくに夢の中だ。一生懸命平気なふりをしていたけれど、打ち上げの終わりごろから船をこぎかけていたの、知ってるんだからな。
 脳内の一織に話しかけたせいで、一織がオレにくれるまなざしと、ステージに立つ姿を思い出して、なんだかひどく胸がざわつく。
 黒い衣装でセンターに立つ背中はぴんと伸びて大きくて、その頼もしさが内心悔しくもあった。でも、今日ステージの上でオレを振り返った一織の、白い衣装の背中は、やっぱりきれいに伸びていたけど、なんだかひどく細く見えたんだ。強く叩きすぎなかったかなって、心配になっちゃうくらいに。
 ひどいじゃないですかって、泣いていた。怖くて仕方がなかったって、それでもオレのために真ん中に立ったんだって。
 そうだよな、一織。オレだって怖かった。いまでも怖い。だけどオレにとってはあの場所が、いちばん安心できて、幸せな場所でもあるんだと、今日あらためて思い知ったんだ。
 だって一織が視線をくれる。
 あの一織が、ステージパフォーマンスの完成度を下げてまで、誰よりも先にオレを見てくれた。センターになる前の一織が、ずっとくれていたのと同じ、焼け焦げてしまいそうな熱い視線をオレに送って、オレの声に唇を合わせて。
 ごめんな、怖かったよな。だってオレはおまえにそうしてやらなかった。真ん中に立つおまえをひとりきりにしてた。
 一織。なあ、一織……。
 暗闇の中でオレはそっと身を起こして、壁に額をつける。寮の薄っぺらい壁の向こう、隙間風の入る一番端の部屋。秘密基地みたいなロフトベッドの狭い空間で、どんな顔して寝てるんだろう。幸せな夢を見ててくれたらいいなと思う。眉間に皺なんか寄せないでさ。
 ねえ、おまえの夢に、オレは登場してるかな?
 昔々の日本では、夢に誰かが出てくるのは、その誰かさんが自分を想っているからだ、って考えられていたんだっけ。だったら、こんなに一織のこと考えてるオレは、一織の夢に登場しなくちゃ。
 夢の中で歌ってあげるよ。何曲だっておまえの望むまま。優しい子守歌がいい? それとも、一織は寝起きが悪いから、目が覚める歌がいいかな。小鳥のさえずりと朝の歌、きっと気持ちよく起きられるね。
 あれこれ考えていたら、一織の夢の中のオレが、なんだか羨ましくなってしまった。一織が望むなら、ここにいるオレの本体だって、いくらでも歌ってやるのに。

『ねえ、一織の夢の中のオレ、どの曲歌ってた?』

 一織が目を覚めしたらすぐ読めるように、ラビチャのメッセージを書いて送ることにした。一通だけならきっと起こしはしないだろうし、もし万が一起こしちゃったら……そのときはそのときだ。深夜に眠そうな一織を独り占めも悪くない。幸い明日はみんなオフだし、お説教のあとで二度寝するだけだ。部屋に戻るのが面倒になったら、ベッドを半分譲ってあげたっていいよ。

 *

 ――結論としてそのメッセージは夜中の一織を起こさずに済んだけど、代わりに翌朝一番に、思いっきり眉間に皺を寄せた一織の襲撃を受けることになったのだった。夢って一体何のことですかって終始ツンケンしてて、結局曲名は教えて貰えなかったんだけど、でも、知ってるんだからな。ほっぺと耳の先を赤く染めて、視線をウロウロとさまよわせてた一織の夢の中に、オレがちゃんと登場してたんだってこと。
 素直に白状したら、オレも教えてやることにする。明け方にオレの夢にやってきて、オレの歌もオレのことも大好きだって微笑んでた一織が、とびきり可愛かったんだってこと。もちろん、現実でオレの前にいる、この一織本人もね!