前人未到の空をあなたと

『オレが聞きたいのは、そこに愛や友情はあるのかってことなんだよ』
 困惑を顔いっぱいに浮かべて、兄さんはそう言った。
 愛や友情。
 思わずオウム返しに繰り返してしまったそのフレーズは、巧く飲み下せないまま、それから数日経った今もモヤモヤとした輪郭をまとって私の胸のあたりを漂っている。
 だって、これは、仕事だ。IDOLiSH7のセンターである七瀬さんのメンタルを支え、ベストなパフォーマンスをしてもらうための、業務上の判断であり配慮だ。そう思う一方で、兄さんの言葉にも一理あると頷く自分もいる。なにしろ私たちの仕事はアイドルで、愛とか夢だとか感動だとか、そういう感情と切り離すことはできないし、すべきでもないだろう。でも。
 愛や、友情。
 七瀬さんに対して、そういうものがあるのかと問われたら――おそらく、ある。ある、のだと思う。
 けれど、IDOLiSH7のプロデューサーとして七瀬さんに向き合うとき、彼のメンタルをコントロールして困難に立ち向かわせようとするとき、私のそういった感情はむしろマイナス要因なのではないかと思ってしまうのだ。
 彼の安寧のためなら、卑怯なことも、非情なことも、すると決めている。隠し事も辞さないし、必要ならば盾にもなる。彼を動揺させることからはなるべく遠ざけるし、七瀬さんのために第三者が傷つくことだって、受け入れる。彼の思考を把握し、適切に働きかけ、私の意図する方へと誘導する。彼がいつでも最高の歌を歌えるように。
 そういう私がいると知ったら、七瀬さんは怒り、傷つき、私を嫌うだろう。最悪の場合、私を信じてくれなくなるかもしれない。そんな結末を迎えるわけにはいかない。私が彼のためにする悪事を、彼に知られるわけにはいかないのだ。
 だから、友情とか、――愛とか。そういうものを抱えた私のままで、七瀬さんの前に立てるわけがない。
 だって、嫌われたくないと思ってしまう。好かれたいと願ってしまう。彼の望むような優しい人物で在りたくなってしまう。そんな私では、彼を守れはしないのに。
 二兎を追う者は一兎をも得ずと、昔から言うじゃないか。
 ならば愛など願わない。あなたを動かすレバーひとつがこの手にあればいい。
 あなたを誰より輝かせ、虹を越える、そのために。

 ――そう、思っていたはずだった。
 だけど……。

 オレのプロデューサー。
 九条鷹匡の前で、七瀬さんが私をそう呼んだ。
「ひどくなんかないよ」
 まっすぐな目で九条を見据えて、言い募る。
「信頼していいよってことだ。任せてくれていいよってことだよ。オレの負担を減らしますっていう、優しい言葉だよ」
 力強い声。ゆるぎなく床を踏みしめた両足。七瀬さんは私を振り向きもしない。正誤を確かめるようにこちらを窺い見ることもなく、まるで当たり前の事実のように、私がこのひとに捧げるもののことを言葉にする。
(ああ、――そうだ)
 雷に打たれたようだった。
 ずっと、誰かの役に立ちたかった。誰かの支えになりたかった。誰かの武器になって、その人のために戦いたかった。
 その夢を、あなたが叶えてくれている。私の見つけた光、私がスターにすると約束した人が、私を信じて、心を委ねてくれる。
 嬉しかった。
 叫び出したいくらい、嬉しかったんだ。
 ようやく――本当にようやく、七瀬さんが求め続けていたものがわかった気がした。この歓喜だ。期待されたい。頼りにされたい。おまえならと言われたい。抱き続けた願いが叶えられている、この、至上の喜び。
 あなたが信じてくれるから、私は自分を誇っていられる。
 ならば、あなたがあなたを誇れるように、私もあなたを信じなければ。
 わからないんだ――と九条が声を荒げた。ひどいよゼロ、ひどいよ春樹。もういない人々をなじる声は一転して、親にはぐれた子供のように弱々しく、途方に暮れている。
 こんなふうに七瀬さんを失いたくない。だから、彼を傷つけ不安にさせるものから守ろうとした。でもそうじゃない。本当に怖いのは、彼からの信頼を永遠に失うことだ。彼の恐怖も、彼の不安も、見えなくなってしまうことだ。
 七瀬さんが語ったように、ゼロはきっと、九条を信じて、頼りにしていたはずなのに、この男はそれに応えてやらなかった。ゼロに並び立とうとせず、完璧なゼロだけを愛していた。だからゼロは、何も言えなくなってしまったのだろう。
 愛や友情。この感情がそう呼ぶ[[rb:類 > たぐい]]のものなのかはわからない。ただ、あなたにふさわしい私で在りたい。私にふさわしいあなただと伝え続けていたい。
 そのために私は、彼と同じステージに立ち続けることを選んだのだ。
 そっと手を伸ばして、彼の腕を掴んだ。彼に縋るように、彼を支えるように。
 ここにいる。あなたの隣に。
 あなたを見失ったりしない。
 私はあなたのプロデューサーで、あなたは私のスーパースター。
 あなたと、虹を越えていくんだ。