パーフェクション・ギミック

「衣装変更、ですか……?」
「はい」
 ただでさえ大きな目をまるく見開いた紡に、一織は頷いてみせながらバインダーに挟んだ紙束を示した。一番上にあるのは、先日紡に手渡された新曲衣装のデザイン画だ。デザインコンセプトを記した文章の下に、白とシルバーを基調とし、濃いブルーをアクセントカラーに使った一織の衣装デザインが描かれている。
「でもこの衣装、一織さんも気に入ってくださったと……」
「ええ、いいデザインだと思いますよ。いつもより甘さを控えたシックなデザインが、曲のイメージにとてもよく合っている。ですが、あのときとは事情が変わりました。見てください」
 手にした紙を何枚かめくり、七人全体が並んだ場面のイメージ画を一織は示す。中央に書かれているのは白いベストに赤いシャツ、黒いタイ。陸の衣装だ。その左に白いジャケットにシルバーのベスト、紺青のタイの、一織の衣装が並ぶ。
「今回のデザインはこれ。ですが、実際はこうなります」
 次の紙には、やや不鮮明な画像がプリントされていた。もとのイメージ画を一織が自分で加工したものだろう。中央には一織の衣装、その隣に陸の衣装という配置になっている。
「おわかりですか」
「はい……」
 紡は頷いて、きゅっと唇を結んだ。こうして見せられると一目瞭然だ。センターの陸と、その隣に立つことが多い一織の衣装は、互いを引き立て合うようなデザインであることが多い。開放的なデザインで元気なイメージの陸と、肌を見せない落ち着いたイメージの一織。それぞれの個性を引き立てるために効果的な衣装だが――しかし。
「この衣装を着た私がセンターに立っては、視聴者にIDOLiSH7のセンターのパーソナルカラーはダークブルーだと印象づけてしまう。これまでのIDOLiSH7のイメージとも離れすぎて私たちのファンも戸惑うでしょうし、今回初めて私たちのことを目にする人は、この衣装を着た私――つまり『青い子』を中心としたグループだと認識するでしょう。それでは、七瀬さんが復帰したときに混乱が生まれます」
「そう、ですね……すみません、そこまで考えられていられませんでした」
「そのぶん私が考えてこうやってお話ししているんですから構いません。すでに制作に入っているところ心苦しいですが、私の衣装は変更していただいてください。青ではなく、赤がいい」
「赤、ですか? でもそれは陸さんの……」
「だからこそですよ。『IDOLiSH7は赤がセンターのグループ』、その印象をできる限り変えたくありません。もちろん七瀬さんの衣装はこのままで、デザインと配色でうまく差をつけてもらってください。この衣装のまま私と七瀬さんが立ち位置を入れ替えても全体的なイメージが変わらないのが理想です」
「わかりました。こちらお預かりできますか。すぐに相談します!」
「お願いします。では、私もレッスンに」
 一織の手から受け取ったバインダーを胸に抱え、足早にデスクに向かった紡は、ドアに手をかける前にぱっと背後を振り向いた。
「あのっ、一織さん!」
「なんですか」
「素敵な衣装にします! 真ん中に立ってIDOLiSH7を支えてくださる一織さんにふさわしくて、IDOLiSH7らしさのある衣装、絶対に作りますから!」
 紡の剣幕に、一織が驚いたようにぱちぱちとまばたきをする。ややあって、ふっとやわらかく微笑んだ。
「期待しています。あなたのセンスは信頼していますから」
「はい!! お引き留めしてすみません!」
 ぺこりと頭を下げ、わたわたと自席に向かう。軽いため息をつきながら紡に続いて部屋を出た一織は、地下のレッスン場に向かったようだった。
 一織への感謝と気づかなかったことへの自責の念、一刻も早くデザイナーとの打ち合わせを設定することでそのときの紡の頭はいっぱいで、だから気づかなかったのだ。その時間が、学校と仕事とでぎっちり埋まった一織のスケジュールの合間にぎりぎり設けた、ささやかな休息時間だったことに。

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  *  *

 心臓がうるさいほどに高鳴っている。
 IDOLiSH7の新曲『Perfection Gimmick』の初披露の舞台は、ミスター下岡が司会を務める生放送番組となった。地上波放送の音楽番組としてはダントツの人気と視聴率を誇る番組の、目玉ゲストの扱いだ。ブラックオアホワイトでTRIGGERを打ち破り、このたび冠番組を始動させる、新進気鋭のアイドルグループとして、大きな注目を浴びていることがわかる。
 陸から一織へのセンター交代は今日まで厳重に伏せられてきた。内部事情としてはやむを得ずの措置ではあるが、それをそのまま見せては印象が悪い。新たな飛躍のための挑戦的な仕掛けとして攻めの姿勢を貫くべきだと、一織と紡の見解も一致していた。
 IDOLiSH7の掴んだチャンスを確実にものにし、いずれ陸がセンターに戻った際により高く飛翔する素地を作る。そのための重要な第一歩が、今夜のステージだ。
 せめて深呼吸でもして落ち着きたいが、楽屋には他のメンバーもいる。最年少で重責を負う一織が落ち着かない様子を見せてしまっては、皆が気にかけるだろう。センターを交代したとはいえ、一織がソロで歌うパートはそれほど多くない。プレッシャーの少ない状況で、陸には彼のパートをのびのびと歌ってもらいたかった。彼本来の歌唱力を少しずつでも露出させておけば、センター復帰の伏線にもなるはずだ。
 穏やかな呼吸を心がけながら一織は着替えを進める。ベストのボタンを手間取らずに留められたことに内心でほっとした。ベストの赤いパイピングと、同色のボタン。一織が紡に要求した赤い色が、今日の大役を一織に突きつけてくる。
 シュル、と襟元に滑らせたタイも赤だ。陸が着るシャツの袖と同色の、深みのあるレッド。首に巻き付け、黒いリボン型の飾りをつける。
 シルバーの手袋を嵌め、ジャケットを手に取った。最初のデザイン画では白だった一織のジャケットは、ほとんど黒に近いチャコールグレーに変更されていた。パンツも同色。他のメンバーは全員が当初のデザイン通りの白パンツ、白のジャケットかベストで、一織一人が上下に黒を纏う。
 中央に立つ、後退色。周囲の華やぎを引き立たせる黒。身体の中央を縦に貫く赤。衣装合わせのときにも感心したが、あらためて見事だ。
「一織、……かっこいいな、その衣装。似合ってる」
「そうでしょう」
 陸がへらっと笑って、褒め言葉を口にした。眉尻の下がった笑顔と遠慮がちな口調に、複雑な感情が滲んでいる。いつも通りの一織の返答にも、あはは、相変わらず生意気、などと曖昧に笑うばかりだ。
 なんで赤、オレの色なのに、くらいの拗ね方をしてくれれば、あなたの色だからこそだと言ってやることもできたのに。自分からそれを口にすることは、一織には難しかった。触れることで傷つけるのか、触れないことで傷つけるのか、わからない。
 陸と一織の会話がきっかけになり、今回の衣装についてメンバーが口々に話し出す。上っ面で適度に受け答えしながら、頭の中ではさっきから新曲が鳴りっぱなしだ。歌詞、発声、声色、ステップ、作るべき表情、他のメンバーの動き、稀に見られたミスとその対応策、今日のステージの構造、カメラ位置。歌唱前の下岡とのやりとりと、ステージに移動するまでの段取り。陸に話題を振られた場合のフォロー。時間が許す限り準備してきた内容を繰り返しさらいながら、表情はあくまでも余裕を心がける。大丈夫、できる。
(……失敗、したら)
 するものか。気絶したって踊りきれる。歌える。それだけの練習をしてきた。
(もし声が出なかったら)
 どうにでも取り戻す。笑って、踊って、おどければいい。もうあんな無様な姿だけは晒さない。
(――失望、されたら)
 そんなもの、覚悟したはずじゃないか。センターで歌う七瀬陸を望むファンに、それと同じものを一織が差し出せるはずがない。その代わりの目新しさ、安定した高クオリティのパフォーマンス、リラックスして歌う陸。いまできること、見せられるものに集中するだけだ。
(怖い)
 怯えるな。
(怖い、怖い、……逃げ出してしまいたい)
 だって、ずっと、陸が立っていた場所だ。しっかり立てと、臆するなと、最善を尽くせと、陸を叱咤してきたのは他ならぬ自分だった。足が震えるだなんて、どの面を下げて言えるだろう。
(あんな才能は、私にはないのに。――愛されないのに)
 わかっている。
 それでも。――それでもだ。
 あの伸びやかな歌声を、もう一度取り戻すためなら、なんだってやる。
「みなさん、そろそろスタジオへ移動お願いします!」
 楽屋の扉が開いて、紡が明るい声を響かせた。彼女も緊張しているのだろう、顔色があまり良くない。それでも、いつも通りの朗らかな笑顔を見せてくれていた。
 懸命に支えてくれている彼女に、悲しい顔をさせたくない。ここで一織が失敗すれば紡はセンター交代を提案した自分を責めるだろう。
「行きましょう」
 先頭に立って歩き出す。イチ、と大和が声をかけてきた。緊張していないかとサラリと問うてくるのは、最年長者のさすがの呼吸だ。否定の言葉を口に出せば、それは暗示になる。乗っかってきた陸は完全に天然だろうが、いまの一織にはそれもプラスだった。
「緊張しないで、頑張って!」
「だから、してないって言ってるでしょ」
 笑って励ます陸に憎まれ口を叩いて、ふんと鼻で笑う。まったく、本当に、この人ときたら――。
 冷え切っていた指先に、あたたかく血が通っていく。
 大丈夫。
 あなたが立ちたかった場所を預かる私に、あなたがそうやって笑ってくれるなら、怖いことなんて。
(…………ない、とは、まだ言えないけれど)
 それでも、行こう。あの場所で歌おう。奇跡の百二十点なんて出せないけれど、型通りの百点ならいつでも取れる。そこに自分の価値がある。
 ――いつか彼が戻る日のための、完璧な仕掛けのための舞台へ。