――少し気が早いですが、とっておきの誕生日プレゼントをお贈りしますよ。この時間にバーにいらしてくださいね、アーサー様。
シャイロックに手渡された招待状には、アーサーの誕生日の十日ほど前の日付が書かれていた。この日程であれば、城での祝賀の準備から抜け出すのもさほど難しくない。世慣れた魔法使いの心配りに感謝しつつ、指定の時間にバーに向かいながらアーサーは首を傾げた。ふだんシャイロックがバーを開くのは、夕食後から深夜までだ。朝と昼のあいまの時間なんて、彼はまだ寝ていることもあるくらいなのに。
「おはよう、シャイロック。ご招待をありがとう」
「あっ、アーサー、おはよう!」
バーには先客の姿があった。クロエとラスティカと、ムルだ。もちろん店主であるシャイロックもいて、要するに西の国の魔法使いが勢揃いしていた。真っ先に寄ってきたクロエに続いて、全員が口々にアーサーに朝の挨拶をする。
「ようこそいらっしゃいました。早速ですが、こちらにお着替えになって」
シャイロックが優雅な手つきで、クロエの手にした衣類を示した。
「え? ああ、わかった」
「《スイスピシーボ・ヴォイティンゴーク!》」
クロエが弾んだ声で呪文を唱え、たちまち新しい衣装がアーサーの身を包む。アーサーは身体をひねって、クロエの新作だろうそれを確かめた。
ぱりっとした白いシャツ、シンプルなグレーのスラックス、赤ワイン色の細身のベストと、同色の蝶ネクタイという一揃いだった。シャツの二の腕には留め具がついていて実用的だ。クロエの仕立てにしてはずいぶんとさっぱりしていて、アーサーはまた首を傾げる。
「いいですね。では、こちらからお入りなさい」
満足げに頷いたシャイロックが、カウンターの内と外を隔てるスウィングドアを引きながら手招きした。アーサーは驚いて、シャイロックを見上げる。その場所は彼の聖域だ。これまでに誰かを立ち入らせたところなど見たことがない。
しなやかな指先でパイプをくるりと回した美しい魔法使いは、唇を綻ばせると、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせた。
「アーサー坊や、今日はあなたは中央の国の王子ではなく、私のカフェの見習い店員です。お客様がいらっしゃるまであまり時間がありませんよ。急いで支度をなさい」
「お客様、もういるよ~! うんと濃い珈琲を頂戴、マスター!」
カウンターチェアに座って足をぶらぶらさせながら、ムルがぴんと手を挙げる。
「あらあらせっかちさん、少々お待ちになって。うちのかわいい新人が、美味しい一杯を差し上げますからね」
芝居がかった口調でムルに応じながら、シャイロックはアーサーに目配せをした。
「……!」
その場でぴょん、と小さく飛び上がって、アーサーは顔いっぱいに笑みを浮かべた。シャイロックの”とっておきのプレゼント”の内容が、ようやくアーサーにも分かったのだ。
一国の王子をカフェの従業員として働かせることが”プレゼント”だなんて、西の国の魔法使いでなければ思いつきやしない。
なんてはちゃめちゃで、思い切りが良くて、素敵な贈り物だろう!
「はい! かしこまりました、お客様!」
アーサーはいそいそと腕まくりをすると、カウンターの内側に足を踏み入れた。しゃちほこばってシャイロックの隣に立ち、紅い瞳を見上げる。
「シャイロック、」
「私のことは『マスター』と」
「マスター! とびきり美味しい珈琲の煎れ方を教えてください!」
「ええ、勿論。よく見てよく聞いて、しっかり覚えなさい。お客様にご満足いただけるように」
「はいっ」
「いい返事ですね」
優しく微笑むと、シャイロックは戸棚から缶を取り出した。かぱりと空けた中からは、今朝挽いたばかりだという珈琲豆の芳醇な香りが漂う。
アーサーの差し出したコーヒーカップを鼻に近づけて、ムルは猫のように目を細めた。高名な哲学者の面影を覗かせる気障な仕草で口をつけて、うん、と頷く。
「合格だね。シャイロックの珈琲の味」
「ありがとうございます、お客様!」
喜ぶアーサーをにこにこと見守っていたクロエとラスティカが、シャイロックに促されて順々に注文を口にする。それらにひとつひとつ丁寧に対応し、一段落ついたところで、アーサーはほうと息をついた。
「どうしました?」
「あ……。すまない……じゃない、すみません、マスター。その……この珈琲をオズ様にも淹れて差し上げたいな、と……」
せっかく西の国の魔法使いたちが特別なお祝いを用意してくれたのに、残念がるなんて申し訳ない。そう思うけれど、浮かんでしまった気持ちは打ち消せなかった。
もじもじと指先を動かすアーサーを慈しむように見下ろして、臨時カフェの主はゆったりと笑みを浮かべる。
「そうでしょうとも」
「大丈夫、プレゼントはこれでおしまいじゃないよ!」
「俺達はねえ、練習台」
「ご安心を、アーサー様。貴方の給仕はとても素晴らしかったですよ」
「もう、ラスティカ! 今はアーサー様じゃないってば!」
「おっと、これは失礼、『アーサーくん』」
カウンターに並ぶお客様たちが口々に言って、きゃらきゃらと笑い出す。目をぱちぱちとさせるアーサーの背中をシャイロックの手が落ち着かせるように優しく撫でた。
「よい仕事をしましたね。見習いから新米に格上げしましょう。さあ、背筋を伸ばして。そろそろ、次のお客様のお越しですよ」
柔らかな声が告げるのと同時に、バーの――今はカフェである場所の、入り口の扉がゆっくりと開いた。
その向こうに見える長身に誰より早く気がついたアーサーが、朝陽のように顔を輝かせた。
ああ、本当に、なんて誕生祝いだろう!
よろこびに満ちた少年の声が、昼の光の差し込む”カフェ”に、高く弾んだ。
「――いらっしゃいませ!」