「シャイロックのバー」

 魔法舎に集う賢者の魔法使いたちには、それぞれ個室が用意される。その個室にはときどき空きが出て、しばらくすると空きを埋める新しい魔法使いがやってきた。新参者の魔法使いは、がらんと空虚で個性のない部屋を見渡して、自分の身の回りのものを持ち込み、あるいは調度品を買い足して、居心地の良い巣に整えていくのだ。
 魔力の強い魔法使いの中には、すっかり片付けられた無個性な部屋にも前の住人の名残を嗅ぎつけて、彼もしくは彼女に思いを馳せることもあるという。
 キッチンや食堂、談話室も、そこに集う魔法使いの顔ぶれにあわせて、ゆるやかではあるが様子が変わっていく。賢者の魔法使いとしての暮らしが長いものたちは、折に触れて、あの頃はこうで、誰々がいた頃はこうでと、思い出話に花を咲かせるものだった。
 そんな風に住人に合わせて様変わりしていく魔法舎のなかに、一箇所だけ、変化のない場所がある。飴色に磨かれたバーカウンター、ずらりと取り揃えられたリキュールやシロップ、一点の曇りもない精緻な細工のグラス類、趣味の良さが窺えるこまごまとした手具のひとつひとつにまで、かつてその場所を支配していたひとの気配が色濃く残されたままだ。扉にも室内にも名を示すものはないが、魔法使いたちはみな、かつてその場所にいたひとの名でその場所を呼んだ。
 時折やってくる年かさの魔法使いたちは、バーのハイチェアに腰をおろし、手酌で注いだ一杯の酒を前に、静かに物思いにふける。カウンターの内側にいたひとの、もの柔らかで、洒脱で、時に辛辣でもあった受け答えを思いだし、胸の内に抱えるものになにがしかの答えを得て、そっと去って行くのだった。
 西の魔法使い、シャイロック。中央王家の城を飾る肖像画よりも、彼の残した場所こそが、かのひとのうつくしさを当世に伝える。
 部屋の中央に鎮座する布張りのソファの上で、菫色の毛並みの猫が伸びをして、にゃあんと楽しげに鳴いた。