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「それがなぜ叶わない、巻ちゃん!! 踏み出せ、目指そうお互いに山頂を!」
 泣き出しそうな顔で、東堂が言い募る。
 インターハイの一日目、約束の山岳ステージの入り口で、チームを先頭で引く巻島を自分との勝負へと駆り立てようと、さっきから東堂はわめき続けていた。
 巻島だとて勝負をしたくないわけがない。だがいまは駄目なのだ。チームの牽引を任せるべき第二のクライマー小野田は落車事故に巻き込まれてはるか後方にいる。インターハイは三日間続く、チームとしての闘いだ。三年間夢見てきた総合優勝のために、ここで巻島がチームを放り出して東堂との勝負に応じることは、どうしたってできるはずがなかった。
「だって最後なんだぜ! これが、勝負できる最後だ、俺たちは――」
 悲鳴のように東堂の語尾が高く裏返った。ぐっと巻島はハンドルを強く握る。
「俺たちは、三年だ、このインターハイが、最後のレースなんだ!!」
 東堂は、そう叫んだ。
 …………ああ。
(東堂ォ)
 行かないと決めていた、諦めていた、それなのに。
(言わねェんだな、おまえ、これでも)
 意識するより先に右手が動いていた。シフトレバーの上で指が踊る。ガシャンとギアが鳴る。
「しょーがねェ!!」
 最後だ。ほんとうに、最後なのだ。このジャージを着て、ハコガクの東堂と総北の巻島として闘うラストチャンスだと、それだけのことではなく。もしかしたらふたりの生涯で、これが山を競う最後の機会になるかもしれないのだ。
 それをこの場で言ってしまってもいいのかと、言外に脅すことすら、東堂にはできたはずだ。だのに誓いを守って、三年だからとしか言わない東堂が、その誠実さが、どうしようもなく巻島の脳髄を揺さぶった。
「待たせやがって!! やっとその気になったか、巻ちゃん巻ちゃん巻ちゃん!! 勝負だ、山頂のリザルトラインまで」
「ショオッ!」
 顔を輝かせ、歓喜の声をあげる東堂に、口癖で応じる。
「最強のクライマーを決める勝負だ!!!」
(――ダメだろ!)
 瞬間、もうひとりの己が、熱くたぎった心臓に冷水を浴びせる。踏み込んだ足から、力が抜けた。歯を食いしばり、息を荒げて、巻島はシートに腰を下ろす。
「――巻ちゃぁん!!」
 血を吐くような叫びを耳から追い出した。俯いて、突き刺さるような視線から逃げる。
 チームで勝つのだ。
 昨年の悔しさを晴らすのだ。
 喜びも悲しみも分かち合ってきた金城と田所に、一年生ながら役割を果たしてくれている今泉と鳴子に、昨年ひどい無理をさせてしまった古賀に、レギュラー落ちした無念を飲み込んで支えてくれている手嶋と青八木に、杉元に、寒咲幹に――そしてなにより、口下手な自分を慕ってくれた、いまもきっと諦めず懸命にチームを追ってきているだろう小野田坂道に、全国優勝という輝かしい栄誉を味あわせてやりたい。それが一足先に彼らをおいてゆく巻島が、最後にしてやれることなのだ。
「東堂ぉ!! なにやってんだ早く行け!!」
 隊列を離れた箱学の二番ゼッケン荒北が、東堂を叱りつけた。ひとしきり叫ぶと、スッと前に出て東堂に肩を寄せる。
 巻島が出られない理由を察して、それを伝えているのだろう。
 唐突に東堂が沈黙した。そして腰を上げる。スピードが変わる。誰よりも美しい、音のしないダンシングフォームで、滑るように坂を駆け上がる。
 なにも言わず、振り向きもしなかった。
(――そうだ、行け、行っちまえ)
 ほっと巻島は内心で息をつく。安心など、本当はすべきではないだろう。エースクライマーの東堂がここでもたもたして地元の山岳リザルトを逃すようなことがあれば、箱学の負うダメージは大きい。それは総北にとっては歓迎すべきことだ。
 だがきっと優しい仲間たちは、いま安堵している巻島を責めはしないだろう。
 そして――
「三分……ショ」
 小野田は来る。きっと、来る。
 三分のビハインドを詰めるための負担は大きいだろう。最後の最後を踏む力を、巻島の足から奪うかもしれない。それでも追いつく。追いついてみせる。山頂の手前で、最後の勝負をするのだ。
 東堂は誠意をくれた。次は巻島が返す番だ。
(待ってろよ、尽八ィ!)
 クハ、と巻島は笑った。