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東堂尽八の第二の性が判明したとき、東堂家は上を下への大騒ぎとなった。
東堂庵の嫡男であり、文武両道、眉目秀麗、立ち居振る舞いも洗練され、年頃の少年としてはやや冷めたところがあるとはいえ思慮深く聡明で、周囲からの信頼も厚い。両親も姉もベータ性であるが、かれはアルファ性の生まれなのではないか、そうであるならば歴史ある旅館の跡継ぎとして申し分ないだろう――そのような期待を掛けられていた東堂尽八の第二の性は、よりによってオメガだったのだ。
オメガ性。アルファ性よりさらに希少種であり、端的に言えば「孕む性」である。東堂尽八の肉体は男のものだが、アルファの男女、ベータの男ならば、その胎に種を植えつけることができるのだ。
実のところ、思春期を迎えるころの自身の体調の変化から、聡い東堂は己の性をうすうすと察していた。察し、だが強い嫌悪感をもってその予感を否定していた。己が他者を上まわるいくつもの要素を数え上げ、これほどすぐれた自分がまさかオメガであるはずはないと、己に言い聞かせ続けていた。
だが、医学的な検査の結果は、残酷な事実を東堂に突きつけた。
親族一同が呼び集められ、その日のうちに、東堂尽八は東堂庵の跡継ぎの権利を失った。近年そうした差別も減ってきているとはいえ、東堂は長く箱根に根を張る古い一族である。両親がいかに擁護しても多勢に無勢だった。
――仕方あるまい、これが俺の運命なんだろう。
沈痛な面持ちで結論を告げた両親に、東堂はさらりと応えた。穏やかに笑って見せさえした。我が子がオメガ性であれと望む親など居ない。両親のDNAが東堂の運命を決めたとしても、それは両親の非ではない。
東堂は両親を愛していた。笑っていて欲しかった。罪悪感を抱かせたくなかった。
だから笑った。どす黒く渦巻く感情は全て押し殺した。
東堂尽八がチームスポーツから離れ、他人と距離を取り、自分を飾ることに興味を示すようになったのは、それからのことだ。
――だが十四の秋、東堂尽八は友人の導きでロードバイクに出会う。
東堂がオメガ性であることは、親族より外には漏れぬよう秘匿された。たいていのオメガ性がそうだ。オメガはフェロモンを理由とした性暴力の対象にされやすい。また、オメガ性、特にオメガ男性に対する差別意識はいまだ色濃く、廃嫡についても対外的には成人後、東堂本人の意思で跡継ぎの権利を放棄したというかたちをとるよう、親戚の長老達から言い含められていた。
東堂がロードバイクを始めたことも、その意味では東堂の家に都合の良いことではあった。
『ものになりもしないスポーツにうつつを抜かして家を捨てる息子か。シナリオとしては悪くはないな』
一族の有力者である伯父にそう言われ、感情的に言い返そうとしたのは東堂の姉で、それを抑えたのは東堂自身だった。
『ものになったから家を捨てるほうが、説得力はあるかと思いますが。たとえばそう、欧州のプロチームのスカウトを受けた――ですとか』
にっこりと笑った東堂に、なかなか冗談が上手いなと伯父も声をあげて笑った。やれるものならやってみたまえ、ただし、東堂庵の放蕩息子が枕営業なんてスクープだけはやめてくれよ。下種な言葉にも東堂は笑みを崩さず、姉を促して伯父の前から辞去した。
怒り狂う姉に、打って変わって冷ややかな笑みを浮かべ、東堂は言い放った。
――成功してみせれば、文句はあるまいよ。
東堂がオメガだと知る誰も、東堂が成功者になるという期待を持たなかった。両親や姉でさえそうだった。オメガは人種として劣る、ただ受け皿となるべき性。アルファの寵愛を受け、その子をなすためにある肉体。それが世間の常識だ。中学生の狭い世界で、東堂はひとより確かに優れて見えた。だがオメガとして生まれた以上、能力はいずれ頭打ちとなる。努力によって伸ばすことはできるだろう、だがアルファや才能あるベータが登り詰める輝かしい高みに、東堂はけして辿り着く日は来ない。
誰もが、そう決めつけた。
だからこそ、東堂は誓ったのだ。生まれなど関係ない。その高みを、必ず獲ってみせると。
東堂がその競技人生の一歩目から華やかな成功で彩ることができたのは、巡り合わせの良さによるところが大きい。友人に誘われたタイミング。サッカーや登山、日々の暮らしで培った身体コントロールの能力が活かせる競技であったこと。自宅の古い自転車により、ロスの極端に少ないペダリングを自然と習得していたこと。地元の山を舞台としたレースで、コースをよく知っていたこと。
だがそこから己を鍛え、戦略を学び、恵まれた能力を研ぎ澄ましていったのは、東堂の努力に他ならない。
けれども東堂は、あえて己を天才と称した。努力などしていない、ただ才覚のままに登っているという顔をし続けた。
オメガとして生まれた時点で天性の才能などないと、知っていたからこそだ。
「オメガだから」。
それは東堂尽八がもっとも嫌う言葉だった。
己のオメガ性を、東堂は黙殺した。オメガであるという運命を黙殺した。誰にも悟られないよう細心の注意を払って振る舞い、ベータかアルファだろうという評判に、笑みだけをもって応えた。
だがどれだけ見ぬふりをしても、東堂尽八もまた、死ぬまで己のオメガ性から逃げられない。
オメガとは、孕む性である。
人として他者に劣る存在であるオメガが唯一、他者以上の幸福を得ることがあるならば、「運命のつがい」と呼ばれる、世界でたったひとり、己のために存在するアルファ性と出会い、子をなすことであると、周囲の人間はしたり顔に語った。
ならば――と、東堂は思い定める。
自分の運命のつがいを、決して探したりはすまいと。
もし仮に奇跡が起きて、己のつがいに出会ってしまったとしても、決してその手は、運命などというものが定めたその手だけは取りはすまいと。
それは東堂尽八少年の、己の運命に対する数え切れぬ反逆のうちのひとつだった。
