《和泉一織》
アウトロの最後の一音が、余韻を残して消えていく。
客席から大きな拍手が上がり、照明が切り替わる。私たちは肩で息をしながら笑いあい、客席に手を振った。
「――ありがとうございました!」
一歩前に踏み出して、大きく声を張る。
季節は初夏を迎えていた。夏の全国ツアーの前哨戦も兼ねた2DAYSライブ。オープニングと挨拶を経ての二曲目は、この数ヶ月歌い込んだドラマ主題歌だった。
「ドラマ、見てくださいましたか?」
客席への問いかけに、あちこちからレスポンスが上がった。ステージ上のメンバーたちも「見たー!」「格好良かった~!」と口々に言ってくるものだから、早々にわちゃわちゃタイムが始まってしまった。全員が一通り発言し終えたところで、兄さんが軽やかに話題を引き取る。
「言い足りねぇぶんは楽屋でな! みんなもSNSで語っといて! さーて、と……一織!」
「はい、兄さん」
「みんなに話すこと、あるんだっけ?」
「はい」
その一言で、再びわあっと客席が沸いた。五年前と違い、期間限定の告知ありきのセンターだ。このタイミングで伝える内容がなにか、とっくにわかっているのだろう。
私はマイクを握り直して、客席を見渡した。視界は不思議なほどクリアだった。固唾を呑むように私を見上げる人々の、ひとつひとつの表情も、よく見える。
笑顔も、泣き顔もあった。張りつめた顔、不思議そうな顔、見守るような優しい顔。さあっと色を変えていく、ペンライトの海。押し寄せる熱量は今でも少し怖いし、申し訳なさも消えない。それでも、伝えたいことはひとつだった。
「あらためまして、和泉一織です。――この数ヶ月、IDOLiSH7のセンターとして歌わせてもらいました。IDOLiSH7の名前を背負ってみなさんの前に立つことの、誇らしさと、責任の重さをあらためて感じる日々でした。忘れられない、得がたい経験をたくさんできました。とても幸せでした。ありがとうございます」
一度言葉を切り、頭を下げる。たくさんの声が私を呼んだ。微笑み、手を振って、再び口を開く。
「そして……名残惜しくはありますが、私のわがままをどうか許してください。こんなに誇らしい場所だからこそ、私はやはり、私の知る最高のアイドルに立っていて欲しいんです。……お返しします、七瀬さん」
「うん」
七瀬さんが頷いて、軽い足取りでオレの隣に並んだ。客席に期待に満ちたざわめきが生まれ、ペンライトの色合いが変わっていく。
「七瀬さんは相変わらず、年上のくせに色々と心配な人ですけど……」
「おい」
「それでも、この会場で……。いえ、」
気恥ずかしさを深呼吸で押し殺して、顔を上げる。赤と青がまだらに揺れる客席の光が、私の背中を押してくれた。
「――世界中で、私が一番、七瀬さんのボーカルが好きです」
きゃぁぁぁぁっ――。
天地を揺るがすような悲鳴じみた大歓声の中で、七瀬さんが堪えきれないように破顔した。私の肩を乱暴に抱き寄せて、観客席に向かって大きく手を振る。
「ありがとー! 七瀬陸、ここからセンターに復帰します! ただいまぁ! みんな、大好き! オレたちのこと、これからも愛してね……?」
「っ、ありがとうございます! 愛しています、みなさん!」
どこかで誰かが拍手を始めて、それは瞬く間に会場全体に広がった。七瀬さんの片腕に抱え込まれたまま、もう一度頭を下げる。
この交代劇が、ファンの全員に好意的に受け入れられるだなんて楽観視はしない。二度目だからこそくすぶる不満もあるだろう。頭の片隅で理性はそう囁くけれど、今はこの歓喜に浸っていたかった。
私の居場所で、誰に恥じることなく、七瀬さんの声を好きだと言える。なんて幸せなんだろう。
拍手が収まるのを待って、七瀬さんはようやく私を解放し、ぱっと大きく両手を開いた。
「じゃあ、お待ちかねの新曲だよっ! この曲はぁ、なんとぉ……ドゥルルルルル……」
「っ、ちょっと」
「一織が! 作詞してくれました~!!」
――やられた。客席から再び大きなどよめきが上がる。
「ちょっと……! それ、今日じゃなくて配信解禁時に発表の約束でしょう……!」
「そうだった? ごめん、言っちゃった」
「ああもう、戻った端からあなたは……!」
悪びれない七瀬さんといきり立つ私を、残りのメンバーが取り囲んだ。七瀬さんを含め、どの顔もにやにやと締まりなく緩んでいて、腹立たしいことこの上ない。
「まーまーまー一織。陸もそんだけ嬉しかったんだって!」
「そうだぜいおりん。りっくんのために書いたんだろ? 愛じゃん。恥ずかしがんなよ」
「兄さん、四葉さんも……!」
からかい混じりの仲裁は、数週間前、おそるおそる歌詞を差し出したときとそっくりだ。蒸発してしまいそうな気恥ずかしさを、きゅっと唇を結んで耐える。
こんなことなら作詞をしたいなんて言わなければ良かった――何度目かの後悔も、七瀬さんと目が合った瞬間に、やっぱり霧散した。私にしてはずいぶんと単純だとは思うけれど、こんなに嬉しそうな顔を見せられては、後悔が続くはずもない。
「ふふ、僕も少しだけお手伝いしたんだ。一織くんらしい、奥深くて素敵な歌詞だよ」
「イオリ、作詞の才能あります! もちろんソウゴの曲も最高ですよ」
作詞をしてみたいという私の相談に一も二もなく賛同してくれた逢坂さんが優しく微笑み、六弥さんもノーブルな仕草で賛辞をくれた。
くふくふといたずらっ子の顔で、七瀬さんが笑う。ああもう、絶対にわざとだ。おそらくマネージャーを含めた全員で示し合わせていたのだろう。
あなたたちのプロデューサーをのけ者にして、なんて人たちだ。
「言っちまったもんは仕方ないよなー。ほらおまえら、みんな早く聴きたいって。準備しようぜ。イチ、リク、紹介よろしく」
「……はい」
「はあい!」
二階堂さんの声に、全員がぱっと表情を切り替えて、それぞれのポジションに素早く散らばる。いち早くステージの中央に立った七瀬さんの斜め後方、慣れた位置について、七瀬さんの背中越しに前を見据えた。期待に満ちたざわめきが、波音のように聞こえてくる。
ふいに、泣き出したいほどの歓喜がこみ上げた。
ここが私の居場所だ。
私のスーパースター。
私のアイドル。
私の、――七瀬陸。
たったひとりの、愛する、あなた。
照明が落とされた。小さく息を吸い、口元にマイクを構える。
「――『幾千の星がきらめいて、世界がまぶしすぎる日にも』」
「『きみを見つけてみせる』」
「『幾万の星が降りそそいで、世界がめちゃくちゃになった朝も』」
「『きみのもとへ駆けていく』」
「聴いてください――」
掛け合いのように七瀬さんと二人で言葉を繋ぎ、ひと呼吸をおいて、揃えた声で曲名を告げる。
「――『Meteor』」
短いイントロ。
のびやかな七瀬さんの歌声が、広い会場のすみずみまで響き渡った。
待ち焦がれた流れ星が、七色の光の海に降りそそぐ。
私は満ち足りた気分でターンを決め、ステップを踏んだ。肩が触れあう近さで七瀬さんと目を見交わして、彼の歌声に私の声を添わせる。
(幾億の星にさよならを言って)
(世界でふたりきりになった夜も)
(きみと夜明けへ歩きだすんだ)
あふれる愛は、あなたが受け止めてくれるから。
私は、ここで。
あなたの隣で歌っていく。
