我が愛しのベネット - 1/5

ベネット家当主の手記

 私がシャイロック義兄上に初めて会ったのは、七歳になってすぐのことだ。
 義兄上は当時十五歳。匂い立つような、それは美しい方だった。
「いらっしゃい。今日からここがあなたの家ですよ」
 私に差し伸べられた白い手、あたたかな言葉と、優しい微笑み。その記憶は幼き私の脳裏に焼き付き、生涯消えることがないだろう。

 ベネット家には女児が二人続き、しばし間を置いて生まれたのが彼、シャイロック義兄上だった。本家の嫡男であり、本来であればベネット家の当主となるべき血筋の人である。
 この国に、魔法使いに家督を譲ってはならぬという法はない。ないが、実際の事例としてはごく僅かだ。そもそも魔法使いそのものが稀な存在であり、前例を積み重ねるには数が足りない。さらに、西の王家にこれまで魔法使いが――少なくとも表向きは――生まれたことがないというのも、理由としてあるのだろう。
 しかし伝承を辿れば、魔法使いを祖とする家系や、その家に生まれた魔法使いの助けを得て栄えた家系は少なからずある。我がベネットもその例に漏れず、上質なワインの材料となる特産の葡萄は、ベネット家につらなる魔法使いの祝福をうけて当地に根付いたものだと言い伝えられてきた。それゆえか、義兄が魔法使いとして誕生したとき、義父――先代のベネット当主はこれを福音と受け取り、慣例に反して嫡男として遇すべく心を決めたらしい。
 その決定を覆したのは他ならぬ義兄当人であった。十三のみぎりと聞いている。義父と義兄とは幾度も協議を繰り返し、結果、ベネット家の新たな跡継ぎ候補として、又従兄弟にあたる私に白羽の矢が立ったのであった。
 当然のことながらこれらの決定は私の頭上で行われたものである。幼い子どもであった私は両親に言われるがまま生まれ育った家を後にし、ベネットの屋敷の門をくぐった。
 末端といえど貴族の家に生まれた身であり、家系の存続を是とする価値観は私にも染みついていた。とはいえ、暮らしをともにしてきた父母や兄たちと別れ、会ったこともない人々を家族と呼び、使用人に傅かれ、当主となるべく教育を受ける――それまでの生活とあまりにも異なる日々に戸惑わずいられるほど、私は大人物ではなかった。
 そんな私を誰より親身に支えてくれたのも義兄上だった。美しいばかりでなく、優しく聡明で茶目っ気もある義兄に私はすぐに懐き、彼と長く過ごす口実として、課せられた勉学に身を入れた。家庭教師の授業では解決しきれなかった疑問を抱えて義兄の部屋を訪ねると、彼はいつもにこやかに私を招き入れ、丁寧に私の質問に答えてくれるのだった。時折、いたずらっぽく唇の前に指を立てた彼が、息抜きと称して語り聞かせてくれた「教育に悪い」物語も、幼い私の胸をときめかせたものだ。
 彼と過ごすそのひとときは、手ずから淹れてくれた茶の馥郁たる香りとともに、幸せな記憶として私の胸にしまわれている。
 月日が流れ、私の背丈が彼のそれに近づいた頃(長身の彼にはついぞ及ばぬままだったが)、私は義兄がなぜ自ら廃嫡を望んだのか、ぼんやりとではあるが理解するようになっていた。
 彼は下級貴族の当主として社交界の片隅にひっそりと置かれるには、あまりにも艶美な、芳しき深紅の薔薇であった。
 男も女も、若者も年寄りも、彼は等しく魅了した。彼がベネットの跡継ぎとして貴族社会に身を置いたのは僅かな期間だったが、花の蜜に群がる蜂のごとくに人々は義兄に群がり、彼を欲したという。大公爵家の婿がねに名が挙がっただとか、皇后が手元に置きたがっただとか、真偽の定かではない噂が絶えなかったそうだ。
 人間であったとしても彼の魅力に変わりはなかったろうが、魔法使いの身の上ゆえ最も美しい年頃で彼の肉体の時は止まり、一方で彼の知性や話術、相手の心をくすぐる物慣れた振る舞いは年齢を経てますます円熟されてゆくのである。そのような存在が家門を背負って社交界に身を置き続ければどうなっていたか――想像するだに恐ろしい。
 義兄や義父に強い権勢欲があったならば、西の国の政治の実権すらその手に渡っていたかもしれない。しかし一方で、権勢争いに否応なく巻き込まれ、ベネット家の断絶という結末を迎えていた可能性もある。どちらにせよシャイロック・ベネットという艶やかな花が本家当主として立つ限り、腐臭漂う貴族社会の暗部とは無縁ではいられなかったろう。
 なにひとつ背負わぬ、身軽な身であったならば、彼はむしろその境遇を楽しみ、欲望渦巻く社交の海を悠々と泳ぎ回っていたかもしれない。義兄はそれだけの器量のある人であった。だが同時に、風光明媚なベネットの所領とそこに暮らす人々の日々の営み、産する葡萄と美味なるワインをことのほか愛した人でもあった。ゆえに義兄は権謀術数の渦巻く国家中枢から早々に身を引き、遠縁の私を当主に据え、自らは丘の上の屋敷で、愛する領地を見守りながら暮らすことに決めたのだった。
 この国の人間は総じて熱しやすく冷めやすい。正式な跡目披露の前に社交界から姿を消した美しい少年のその後を、未練がましく気にかける者は多くはなかった。あまりの美貌ゆえに精霊に気に入られて異界へと攫われたという他愛ない噂がひとしきり社交界を賑わして、それで終わりだった。
 ――後年その話をしたところ、義兄は「そんなこともありましたね」と懐かしげに笑ったものである。只人たる私には、彼が何を指して懐かしがっていたのか、いまだに知らぬままだ。

 さて、努力の甲斐あって正式な後継者指名を受けた頃、私にも縁談が持ち上がり、とんとん拍子に話は進んで、華燭の典を挙げることとなった。家格の釣り合う者同士の、ごく平凡な婚姻である。
 婚儀の前日、国境近くの土地から馬車に揺られてやってきた人は、陽気な笑顔とざっくばらんな態度が印象的な、善良そうな女性であった。
 生まれ育った土地を離れて他家に入る心細さは、かつて私が味わったものと同じだろう。まして相手は我が妻となる人である。そう考えて、私なりに心を砕いたものだが、後日妻が語ったところによると、やはり初めて会った義兄のあまりの美貌に衝撃を受けて、それ以外の記憶は曖昧なのだという。似たもの同士という点では、我々は良い夫婦なのかもしれない。
 ともあれ、かのひとの人智を超えた美しさと並ならぬ話術を目の当たりにしながらも、翌日には私と誓いの口づけを交わし夫婦となってくれたのだから、得がたい人である。縁談をとりまとめた義父と義兄の、人を見る目は実に確かであった。
 家の存続を第一目的とした婚姻ではあったが、私と妻はなかなか相性がよかったようで、以来ずっと仲睦まじく暮らしている。西の国の人間にしては内省的な私には、妻のように陽気であっけらかんとした人が合うのだろう。
 長男が生まれたのは妻を迎えた翌年の秋のことだ。郊外の屋敷から祝賀に訪れた義兄に、私と妻は名付け親になってくれるよう求めた。無論義父の了承を得てのことである――というより、その案にもっとも乗り気だったのが義父だ。血筋の魔法使いの祝福が一族を栄えさせると生涯強く信じていた人であった。
 蕩けるような声で義兄は魔法の呪文を唱え、自ら名付けた赤子に祝福を授けてくれた。それからも我々が子に恵まれるたび、それが恒例行事となった。それらの年に仕込まれたワインは例外なく当たり年となり、ベネットワインの名を知らしめることとなった。
 その子らも健やかに育ち、既にそれぞれに伴侶を得た。春には三人目の孫を抱く予定である。
 義兄について、公平を期すために妻の言い分も記しておくとしよう。私は妻が義兄に心を奪われないでくれて安心したものだが、妻に言わせると、義兄が女性でなくて良かった、という。
『お義兄さまが女性でいらしたら、きっとあなたは私に見向きもしなかったわ』
 からりと陽気な妻は、こう言ってしばしば私をからかう。心外なことだが、成長した我が子らまでも妻の味方をするようになってしまった。
 どうやら私が義兄に向けるまなざしは、年の離れた義弟としてのそれを少々逸脱しているらしい。
 しかし、それも致し方あるまい。ずいぶん前に肉体の時を止め、今はもう私の息子と呼ぶにも若すぎるかのひとは、私の生涯を照らす光であり、道を示すしるべの星であった。彼に対して不埒な肉欲を抱いたことは神に誓って無いが、私を自慢の弟と呼んでくれる義兄の笑顔のためなら、どんな労苦も惜しくはなかった。私にとってはベネットの家門も土地も彼そのものであり、ゆえにこそ、その繁栄と安寧に悔いなき人生を捧げてきたのだ。
 しかし、私ばかりが義兄に思慕を捧げてきたと語られるのはいささか納得がいかない。我が娘たちなど、揃って初恋は伯父である。息子たちにとっても、幼き心をとらえた美しい人であるだろう。
 いつまでも盛りの美しさで咲き続ける大輪の薔薇を、西に生まれた人間が愛さずにいられようか。ベネットの血族として、ひとしおの慈愛を注がれ続けるのだから、尚更である。

 定命の只人である私は老いゆき、いずれは死を迎える。どれほど望もうと、かのひとと同じ時間を歩むことはできない。今はただ、我がベネットの一族と、我らを育んだ美しい葡萄畑の丘、喉を潤す美味なるワインが、末永く彼の暮らしに寄り添い、その心を慰め続けるよう、祈るばかりである。
 ――それとも、ベネットの名がこの国から消え、丘の上の葡萄畑もすっかり失われたとき、彼は初めて、真の自由を手にするのだろうか。そうだというなら、それでもいい。義兄上がベネットの名を捨て、ただのシャイロックとして生きる日が来たとしても、彼が私に与えた愛、私が彼に捧げた愛は、なにひとつ変わりはしないのだから。