【秦野第一中学組の場合】
「よ、寿一」
「新開」
「『月が綺麗だな』?」
「――『死んでもいいぞ』」
合言葉に応じるようにすらりと答えると、あはは! と新開は声をたてて笑う。実際、合言葉のようなものだ。読書家でロマンチストの新開が明治の文豪の逸話を福富に教えて、ふざけ半分で言い合うようになったのは、中学二年生の頃だったか。死、という言葉の語感を福富はあまり好まないが、友人が楽しそうなので慣れてしまった。
「なあ寿一」
「なんだ、新開」
「おめさん、案外知らないふり巧いんだな」
「そのようだ」
こくりと福富は頷く。
荒北との会話で月の美しさを口にしたとき、福富は文字通りそのままの意味だけを意図していた。だが荒北の反応で、彼がその逸話を知っていて連想したことに気づいたのだ。
訂正をしようとは思わなかった。荒北への友愛ならたしかに抱いている。
おそらく福富が知らないと思っているのだろう荒北が、遠回しに応じてきたことは意外だったが、嬉しくもあった。鉄仮面と言われた己の表情筋に感謝したほどだ。
「靖友照れ屋だもんな。寿一が知ってるのわかったら、逃げ出しそう」
「新開」
「うん?」
「月が綺麗だ」
一瞬きょとんとした新開が、また声をあげて笑う。
笑って、笑いすぎたからだというように目元をぬぐって、うん、と新開は頷いた。
「うん。……そうだな、寿一。――」
続けてなにごとかを言おうとした唇は、けれど、はくはくと無音で上下して、また閉じられた。福富の視線を振り切るように新開が仰いだ月はいつのまにか、完全に地球の影に入っていた。この会の始まる前に東堂がにぎやかに解説していた通り、暗い天には赤くぼんやりと輝く月が浮かんでいる。
その赤い色に新開がなにを思っているか、わかる気がした。人には合言葉のように気軽に言わせるくせして、本人は応じるそれを、軽々しく言葉にできないのだろうということも。
克服をしたということと、忘れられないことは、きっと別の話だ。
「うん。綺麗、だなあ」
困ったように笑う横顔を見せる新開の肩を、福富はぐっと掴む。
「これからも、よろしく頼む。――隼人」
めったにしない呼びかけに新開が驚いたようにこちらを見て、嬉しそうに破顔した。